東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

撮影と車の運転

というわけで火曜日は夜勤。
気が付いたら8月も後半。この前書いてからそれほど経ってないのに、なんだかずいぶん時間が過ぎたように感じる。

15日日曜日。午後に思い立ってまだ借りていたビデオで家の周りを撮影。実は自分の家の周りがあまり好きではない。家の周辺は整備された街と住宅がならんで、なんとなく作られた感があり、そこが面白くない。だけどその日昼間に少し歩いていた時に向日葵が咲いているのを発見した。それでなんとなく向日葵を撮影したくなり、ならばせっかくだし家の周りも撮影しようと思った。撮影にあたり、家の周りをいつもよりゆっくりと歩く。子供の頃はたくさんあった田んぼが今では数えるほどしかなくなった。狭い田んぼでまだ稲は青々としており、それを撮影。水路もとる。家の前の道路も撮影。気づかなかった落書きがあった。そういうのを見ただけでなんとなく、この街も悪くないと思える。

この日、お盆なので金沢に転勤していた兄貴も帰ってきて、久しぶりに家族4人がそろう。せっかくだから夜には家族も撮ってみる。親父や兄貴はノリノリ。嫌がったのは母。自分がカメラで撮られるのは、かなり久しぶりのはず。さっそくテレビにつなげると照れながらも楽しそうに見ている。そういえば、ビデオとはいえ家族全員でひとつの画面に収まったのは何時以来だろうか。家族の集合写真は高校生以来なかった。それは僕が北海道の大学に行っていたからだし、その後も仕事を始めるとだんだん家族で出かけることも減る。もはや面倒見られるような年齢でもないし、兄貴も僕も勝手に生きている。なんだかずいぶん久しぶりな感覚だ。たまにはこういうのもいい。

16日月曜日。展覧会に使う映像を撮影するため、Iさんと葛西臨海公園へ行く。親から車を借りて行くことにしたが、平日とはいえまだお盆休みが多いのか、環7はずいぶん空いていて1時間足らずで着く。葛西臨海公園に来たのは小学生以来。海に面した公園はとても心地よかった。羽田が近いので飛行機も頻繁に通る。遠くの方には風力発電の風車が回っている。ついでに東京ディズニーランドも見える。空がやけに大きく感じた。そこでいくつか撮影。Iさんはギターを持ってきていたので、海でギターを弾くIさんも撮影。撮影は楽しい。いろいろ撮ってから帰る。編集はIさんのパソコンで行う。僕のパソコンはなんだか調子が悪いので。それにIさんのパソコンはまだ50GBも空きがあるそうだ。僕のパソコンの何倍も空いている。すごいことだ。ただIさんのパソコンは手作りで、映像を取り込む端子がなかったので、一度僕のパソコンに取り込み、CD―Rに焼いて渡すことに。案の定パソコンが悲鳴をあげる。40分くらいの映像をCD-Rに焼くのに240分かかることになった。4時間だよ。すでに夜8時をまわっていたので、Iさんには明日渡すことにして家に送った。Iさんの家は大塚の近く。夜の東京を車で走る。まだ空いているのでとても気持ちよく飛ばす。東京の街を、車で飛ばすのは本当に気持ちいい。いつもだと信号につかまったり渋滞に巻き込まれるから、本当にこういうときは楽しい。お盆は東京を走るにかぎるな。あといろいろIさんと話せて楽しかった。Iさんを送って家に戻ってもまだ取り込みは終わっていなかった。結局CD-Rに焼けたのは深夜1時過ぎ。まぁ無事焼けてなにより。それにしてもいよいよ僕のパソコンは調子が悪い。画像編集にはもう使えないか。

で、ふと、また車で走った。大学生の頃はこうやって夜のドライブをした。なんとなく車を走らせる。目的もなく、ただぼんやりと。そうすると運転をする以外何も考えなくなる。そういう状態が好きだった。窓を開けて走る。深夜の風はもう肌寒く感じる。埼玉とはいっても少し走らせると田んぼが広がる地帯になる。そこに行くと急に灯りが減る。暗闇の中で乾いた土と草のにおいがする。道路にポツンとある街頭と車のライトの光以外暗闇がひろがる。トラックが道路わきに止まっている。エンジンはついたままだ。仮眠をしているのだろう。トラックの人は今も働いている。どこから来たのか。そしてどこへ行くのか。少し想像する。だけどこのトラックとまたいつかすれ違っても、きっと僕は気づかない。深夜、つかの間の時間の共有。いや、共有でもない。ただすれ違うだけ。なんの接点もない。トラックの人は僕の存在も知らない。ただ僕がトラックを見て、束の間その人の動向を想像しただけ。やがてトラックは僕の後方へ、暗闇の中へ消えて行く。僕の存在を示すものも車のライトだけになる。僕は暗闇を分け入るように走る。暗闇は怖い。真っ暗なのが怖い。だけどもっと怖いのは真っ暗な中に何かがいるんじゃないかと想像をしてしまうこと。ライトで照らされた場所に何もないことが返ってライトの照らされていない場所のことを想像させる。きっとそういうのが暗闇の怖さだと思う。やがて国道が見えてくる。灯りのほっとする。国道は深夜でも車が多い。もう暗闇の怖さはなくなる。土のにおいも、草のにおいもわからなくなり、開けた窓から排気ガスが入ってくるような気持ちにさせる。すこし蒸し暑さが戻ってくる。そうやって月曜日は終わった。ずいぶん車を運転した。楽しかった。

今日はそのCD-RをIさんに渡してから、まだ仕事まで時間があったので本屋へ。『考える人』という雑誌の夏号が出ていたので、宮沢章夫さんの連載を目当てにページをめくる。今回も痛快。で、そのあと坪内祐三さんのエッセイで目がとまった。どうやら毎回一人の作家さんに焦点をあてて書かれたエッセイらしいのだけれども、今回は深代惇郎(じゅんろう)さんを取り上げていた。深代さんは朝日新聞天声人語を数年書いていた方だそうだ。坪内さんはこの方が書かれていた頃の天声人語が面白かったという。深代さんの目線、天声人語を書く姿勢。そういうものをその当時の天声人語を引用しながらとても丁寧に書いていた。僕は深代さんという方は知らなかったのだけれども、とても刺激を受けた。特に惹かれた言葉が、深代さんが天声人語を書いた際に引用した次の言葉。

『一日が終われば一日を剥ぎ取って捨てる あの「ひめくり」に、生の手触りが感じられて好きだった』 

なんだかしびれた。深代さんの本が読みたくなった。もちろんこの坪内さんのエッセイもいい。お暇なら是非読んでみるといいと思う。

そういえば、以前一緒に芝居をやったDさんから突然メールが来た。何かと思ったら偶然このホームページを見つけたらしい。見つかるものだな。少し驚いた。このページのことは誰にも言っていない。言うことでもないし。まぁものすごい低い確率ではあるけれども、偶然見つかることもあるのだろう、こうやってネットでやっているのだし。刺激を受けたといってくれた。とてもうれしかった。なんだかありがたいもんです。僕もまだまだ修業中。まだまだいろいろ修業中だ。