東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

東京タワー

昨日、芝居のことを書いていて、夜に見た友人の芝居と、昼に見た遊園地再生事業団の芝居で、もちろん書かれている作品が大いに違うものの、役者の力もやはり違っていた。遊園地再生事業団に出ていた役者の方がちゃんと「立っている」。崩れる動きをしても、重心は安定している。声の通りが違う。歩き方が違う。それは役者の基礎体力とでもいいますか、土台とでもいいますか、その辺が決定的に違う。夜の芝居の方の役者達はやはりその辺に荒さを感じる。立ち方がきれいじゃない気がする。その辺は、役者を志そうという人が、どういった意識で役者をやっているのかにもよるんだろう。かといって、じゃあ荒い役者が駄目なのかといったら、そればかりじゃないんだけど。何もしなくても、すごい存在の役者もいる。でもそれはやはり稀だ。野球で例えるなら素振りをしなくても打てる人はいるかもしれない。だけど素振りはやはり重要だ。素振りをしつづけなければならない。努力の全てが報われるなんてきれい事を言う気はないけれど、使い古された言い方をすれば、今、その道で一線を走っている人は自分を律して、努力をしてきたはずだ。

役者の役目は、その役の責任を全うすることだ。物語の責任は作家や演出家が負えばいい。ならばとことんその役を突き詰めるべきだし、ということはひいては自分の体を、声を理解していくことが必要だ。自分はどんな立ち方をしているのか。歩き方は。手を出すときはどういう風に出すのか。顎はいつもあがっているのか。背筋はどのくらい曲がっているのか。目線は。なんだったらまばたきはどのようにしているのか。そういうことを突き詰めていく。はっきり言って、今後、自分の体がリニューアルされるわけなどないし、今ある自分の体をそのまんまで舞台にあげるしかないのだから、だからこそ自分を知らなければならない。その辺の意識のようなものが少し足りないように感じることが、僕の周りの人達の芝居を観ていると、ある。その辺は死にものぐるいで考えるべき。

話はかわり、東京タワーについて。参考や引用は例によって中沢新一さんの『アースダイバー』。東京タワーはテレビ塔だ。テレビの電波をあそこから各家庭へ送っている。テレビが関東で広まることを予想して、大きなテレビ塔を作る必要を感じたテレビ局各局が作ることを決断。テレビ局の中でも設立が早かった日本テレビは、新参者であるフジテレビその他と肩を並べて同じテレビ塔を使うのに一度難色を示したという。上層部のお偉いさんの中では日本テレビは独自に新宿あたりにテレビ塔を建てると言った人もいたそうだけれども、それは予算的にさすがに無理なのでしぶしぶ一緒に作ることを合意した・・・まぁこれはこぼれ話。朝鮮戦争で使われたアメリカの戦車の残骸が日本に運び込まれることになって、その鉄を使って東京タワーは建てられた。これは作ろうと考えていた人達からしてみたら、、渡りに船だった。戦車に使われていた頑丈な鉄が、タダ同然でどんどん日本に入ってくるわけだから。調子がいいときはなんでもうまく事が運ぶものなのだろう。

場所が芝公園なのも、何かの導き。昨日も書いたけどこのあたりは増上寺の他にも、泉岳寺があったりと、寺や神社が集まっているところだった。もっと時代を遡ると、縄文時代貝塚前方後円墳などが発見された場所でもあり、太古の昔から人が生き、死んで行った場所だった。かつての芝公園は海に面した場所だった。岬だった。海の玄関口だった。あらゆるものが大阪や京都からここから運び込まれてきた。そう考えるとこの場所がそうやって人々の生活に関わった場所であることが理解できる。人々が生きた場所だから、死があった。だから墓があり、寺があり、神社があった。そこは死霊の国だった。

『「サッ」という音は、古代の日本語では異界との境界をあらわす、魔術的な音だった。「サカイ(境)」とか「サカ(坂)」とかいう言葉は、みんなこの「サッ」の音を含んでいて、見慣れない不気味な世界との境界線がここにありますよ、ということを示していた。その境界を通じて、異界との見えない通路が開かれているのが「サッ」という音のついた場所だった。岬という言葉にも、この「サッ」が含まれている。岬は異界に向かって身を乗り出している場所、そうして乗り出した全身で異界から吹き寄せる風を受ける場所を、あらわしている。境界に立って、向こう側に広がる世界に通路を開いていく場所、それが岬だ。』

そして芝公園はかつて岬だった。芝の岬は紀州熊野の海民の世界との海の通路が開かれていた。ここから関東に入った紀州熊野の人が沢山いた。紀伊の半島から、東京の岬へ。ここで東京と熊野が結びつくのも何かの力を感じずにはいられない。

そんな場所に東京タワーは作られた。死霊の国であり、岬であった土地に。朝鮮戦争という争いを、死を、沢山の人の命を飲み込んで戦場にあった戦車の残骸から作られた。その当時エッフェル塔を超えて世界一の高さを目指して作られた。それは太平洋戦争後、一度底辺を経験した日本人の手により立てられた何よりも高い塔だった。死が何重にも折り重なって、東京タワーは、そこに、あった。

増上寺と違和感なく、それでいて近年建設されている新しいビルとも遜色なく、そこに存在している東京タワーは、そういういろいろな力によってある。時は過ぎても、東京タワーはやはり東京の象徴であって、その建物が見えると僕は、見上げてしまう。見上げている僕は、その時、無防備に、ただ東京タワーを見上げている。きれいだな、とか、でけえな、とか、そんな気分で見上げている。その中に、ほんのわずかだけでもいいから、そういう東京タワーに内在している大きな力を感じることができていたら、いいなと思う。秋になり、すっかり日が沈むのが早くなったこのごろ、仕事帰りのモノレールから見える東京タワーはキラキラと光り輝いていてとてもきれいだ。