東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

東京を歩く

日曜日、お茶の水文化学院の文化祭に行っていた。銀座でやった展覧会の中心メンバーであったIさんがやっているバンドのライブに行くため。なんでIさんがお茶の水文化学院でライブするのか疑問だったのだけれども、それはIさんが社会人でも学べる週一回のデザイン科のコースに通っている、正真正銘の学生だということが判明して納得。

そこは文字通り文化祭で、屋外には食べ物を売っている屋台があり、教室には学生の作った展示品がありで、僕にとっては懐かしい雰囲気だった。お茶の水文化学院は古くからある、芸術分野の専門学校らしく、展示品も絵画や彫刻など。中でも面白かったのはデジタルデザイン科(もっとちゃんとした名前だったと思われるけれども失念)の展示で、パソコンを使ったデザインの数々は、美術系に無知の僕でも単純に面白かった。中には、デジタルカメラで撮った写真を音楽に乗せてパワーポイントのスライドショーでランダムに画面に写している作品で、写真の順番なども計算されて決められているようで、音楽と相まって良かった。その他にも「明治おいしい牛乳」の牛乳パックのデザインを自分で作るという展示では、学生が作ったオリジナルの「明治おいしい牛乳」がいっぱいあって楽しかった。そういう展示の中に何故か、熊野の風景を書いているもののコーナーがあり、なぜ熊野なのか疑問に思っていると、なんでもこの学院の創設者が和歌山県新宮市出身の近代芸術家西村伊作という方らしく、この学院主催で毎年、熊野で特別講座を開いているらしい。いろんな所で、熊野が目に付く昨今だ。

Iさんのバンドの曲はそれ以前から、ちょっと聞かせてもらっていたけど、僕はとても好き。かっこいい曲を作っている。何よりもバンドをしているメンバーが曲を作るということが楽しくて仕方が無いう感じで曲作りをしているし、この日の演奏も楽しそうに弾いていた。楽器が出来ない僕にはそれだけで羨ましいけれど、ライブっていうのは楽しそうでいいなぁ。

その後、せっかくだから東京を散歩する。お茶の水から外苑通りを経て春日通りへ。少し細い道へ入って、東大赤門前の道を行く。お茶の水〜湯島〜本郷。文京区のこの辺は新宿や渋谷とは雰囲気の違う東京だ。歩いていると東京は坂道の多い町だということに気付かされる。歩くからこそ感じる街の形。言問通りまで来て右折。大きな坂を下ると根津、千駄木に入る。昔からある家々の間隔がとても狭い。どの風景も絵になる。飼い猫なのか、塀の上にじっと座っている猫を見つける。こうやって街を散歩する人がちょっかいを出してくることには慣れっこなのか、僕が手を出しても無関心。その愛想の無ささえかわいく見えてくる。根津と谷中の間にウネウネとカーブが続く道がある。通称ヘビ道。不思議なことに文京区根津と台東区谷中の区切りがこのヘビ道である。とっても小さな道路で、一歩逸れるとすぐに大きな道路があるのに、なぜこの細い道が区の境なのか。今の視点ではそれは理解できない。ヘビ道はかつて川だったところを埋め立てた道だ。だからうねっている。人が作った大きな道路よりも、自然にあった小さな川の方が、かつては人の生活を隔てていた。そんなことが伺える気がする。そのまま谷中霊園を歩いてJR日暮里駅まで歩く。青山墓地雑司が谷墓地とならぶ規模の霊園。東京は墓地と寺と神社が本当に多い。結局1時間30分から2時間ほど歩いた。疲れた。しかしウル覚えだけれども、夏目漱石著の「こころ」で先生がふらっと本郷から雑司が谷霊園まで散歩しているくだりがあるはずで、ほぼ上野から池袋だ。僕が歩いた距離と一緒くらいあるはずだけれども、本の中では簡単な文面で片付けられているはず。昔の人の散歩の感覚との差というか、交通が今ほど発達していなかった時代の、そこには、「はやさ」がある。生活の「はやさ」。とてもゆったりと流れる「はやさ」だ。もっと東京を歩きたい。

地震は怖かった。ちょっとした違いで、僕は今平然と月曜日を迎えているけれど、それは本当に単なる運でしかない。地震列島日本。それにしても台風やら地震やら。どれだけ進歩しても、本当に怖いものははるか昔からある、そういったことなんだろう。人間はあまりにも無力。せめて早い復旧を願うばかり。

本当にどうでもいいけれど、くだらなさすぎるニュースがヤフーに掲載されていた。以下抜粋。

『米ロック歌手レニー・クラビッツが自宅アパートのトイレの水をあふれさせ、隣人に「壊滅的な水害」を及ぼしたとして、保険会社から損害賠償訴訟を起こされた。』

壊滅的という響きがやけに気になる。何をしてるんだ、レニー・クラビッツ。