東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

ボールは同じところに落ち続けていた

■ 雨の日中。寒い。今朝、西日暮里駅で人身事故があったらしく、朝の通勤時にJRが遅れる。只でさえ雨で嫌なのに、電車は混むわ遅れるわ。あまり素敵じゃない週の始まりだ。

アメリカの大統領選に関する分析で、興味深いことはブッシュを支持する地域とケリーを支持する地域の違いだけれども、特に注目すべきは、ケリー支持は東部沿岸と西部沿岸および中西部の北部の地域で、ブッシュ支持は中西部から南部にかけてだったことだ。アメリカに行ったことがないので断言など到底できない身分ではあるけれども、いろいろな文章を読んで、自分なりに解りやすく置き換えてみるとケリー支持の住む場所は都市型社会でブッシュの方は村型社会ではないだろうか。村型社会の中に見えにくいながらも存在する、村に依存する、そして村を維持していくことを優先と考える思想。そこでは外部の介入や外部への流出を恐れる。基本として保守だ。どこかで聞いた話では、この大統領選で意見が分かれた地域の違いはかつての南北戦争での黒人奴隷解放に賛成か反対かの分布とそっくりらしい。中西部から南部が黒人奴隷解放に反対だった。アメリカは想像しているよりもかなり村社会がその割合を占めている。基本的には変化を恐れる臆病な人の集まりだ。厄介なのは臆病な割りに力が強いということ。変わることへの恐れ。怖いから先に手を出す。怖いから頑なに自分を守ろうとする。必死で。

■ そしてまたアメリカ社会にあるキリスト教という存在。中西部から南部のキリスト教信仰の強い地域がブッシュを支持。その他にもカトリックユダヤ教の人々まで今回はブッシュ支持へ回ったらしい。で、これは中東からすると脅威であるとのこと。今まではアメリカ国内でもキリスト教の中で住み分けがされていたのに対し、今回はもうそんなことは関係なくなってキリスト教系全体がブッシュ支持に回ったとのことで、つまり構図としてアメリカと中東との関係がキリスト教VSイスラム教になってきたらしい。中東、イラクなどからすると領土を侵されることと以上の脅威がキリスト教によるイスラム教の抹殺。ブッシュ再選に伴い、アメリカは中東に民主主義を提案していくが、これに対して中東地域が警戒を強めていく恐れがあるらしい。ニュースでもイラクの町の人がインタビューに対して「キリスト教の国にイスラム教の国が乗っ取られてしまう」というような発言をしていた。憎悪の根本には宗教が絡んでいる。いつの時代だってそうだ。この辺に関してとてもためになる文章がこれ。(http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20041109#p2)調査されたデータ結果は恐ろしささえ感じる。よろしければ読んでみては。

■ 週末のことを少々。12日金曜。友人Aが出ている芝居を見に横浜へ。東京から京浜東北線で約30分。近い。近いけれども、何か違う雰囲気だ。東京と横浜はやはりどこか違う。そしてちょっと怖い。時間が無かったのですぐに劇場へ。芝居に関してははっきり言って面白くなかった。なんだかちょっといろいろ古い。80年代に全盛だった芝居を真似しているような、それでいてやり切れていないような、で、どっちにせよ結局古いわけで、どうも見ているこっちが気恥ずかしくなる。どうして駄目だったのか考えると、設定がどうもいけない。主人公の女性が世界的なダンサー役なんだけれども、はっきり言って世界的なダンサーのようなダンスができないわけで、その辺がどうも駄目だ。そりゃもちろん実際のその人が世界的なダンサーじゃないからなんだろうけれども、問題はそこだ。例えばそれは外人役をして「僕はボブさ」と言う日本人の役者を見るときの気恥ずかしさと共通するものを感じる。「とりあえず、その問題はこちらへおいといて」と暗黙の了解をこちらへ促す感じ。役者の身体的な限界を超えている役をやっている人はどうもいただけない。それは男しかいない劇団がどうしても女の出る芝居をやりたくて、苦肉の策で男が女をやったとき、その「男である」ことを「こちらへおいといて」話を進行するようなもので、でもはっきり言って「気になる」わけだ。それと似ている。大体ちょっと役者さんに酷だ。稽古の時、どう演出したんだろう。「もっと世界的なダンサーっぽく踊ってくれないかな」とか言ったのか。厳しいことを言う。逆に、上演した程度のダンスで世界的なダンスを演出したとするなら、その演出の軽さに呆れる。どうしてもやりたいなら演出家も役者も死に物狂いでやるべきだ。その辺が感じられない芝居には中途半端さしか残らない。まぁあくまで個人的な見解ですが。

■ 13日土曜日。午前中にリーディングをやった面子と東京で会う。なぜか東京国際フォーラムの中の喫茶店でいろいろ話す。この東京国際フォーラムが、かつて東京都庁があった場所に作られたということを教えてもらって初めて知る。80年代に設計された建物なだけあって全面ガラス張りのところがあったりやけに広く、そして何もないスペースがあるなどかなりバブリーなつくり。話によると維持費がとてつもなく高いらしいが、なんとも兵どもが夢の跡を象徴するような建物だ。当初は9月の展覧会の反省会だったが、いろいろと話が脱線。むしろとても楽しい話をいっぱいした。展覧会に甘んじるようなら、どうかと思っていたけれども、先々もっといろいろ考えていこうとする感じの話がいっぱい出て刺激になった。それにしても僕以外の面子がみんな慶応大学の卒業生だったり、院生だったりとなんだか頭の回転の速い人たちばかりだから、政治の話になったりするとやけに細かいところまで討論しあう。なんだか国を背負っていけそうな人たちの会話だった。僕は「はぁ」やら「へぇ」しか言えずに、座っていた。牛のことをしゃべらせてくれれば僕も少しは討論できたかもしれない。

■ 夕方、渋谷へ。リーディングに出てくれたMくんと会う。話をしていくうちにいきなりちょっと怒涛の展開になってきた。どうも12月から来年にかけて慌しくなりそうだ。

■ 14日日曜日。なぜか親父とゴルフ練習場へ行く。ゴルフ練習場には確か、中学生の頃、親父に連れられて兄貴と3人で行った。そのときはうまくボールに当てることもできずに苦しんだ覚えがある。もう昔の話だ。親父にコーチよろしくいろいろ教えられてボールを打つ。最初は全てスライスして右側に流れてしまうが、そのうち少しづつマシになってくる。手打ちにならないように、背筋を使って打つ。そういうアドバイスを念頭において。ゴルフもクラブの芯でボールを捉えないと手がしびれる。そのためにはよくボールを見なくてはいけない。脇を閉める。手本を見せると親父がいい、ボールを打った。ボールは練習場に作られた簡易のホールのピンのそばにうまく落ちる。「同じところに落とせるようにすることが大事だ」と親父は少し得意そうにいう。その言葉がやけに印象に残った。それは確かにゴルフにおいての言葉だったのかもしれないけれど、僕には親父の生き方のように感じた。「同じところに落とせるようにする」ことを繰り返す。どんな風が吹いても雨でも、できるだけ同じところへ落ちるようにボールを打つ。その積み重ね。

■ 親父はいつもそんな生き方をしている。うちの家は今日まで家族離散の危機とか借金にまみれるとかそういった驚くような出来事は起きていない。いや、起きていたのかもしれない。少なくとも子供の僕にはそれは気づかなかった。だから起きていないのと同じだ。起こしていたのはむしろ僕のほうだった。ずいぶん迷惑をかけている。それでもうちの生活は揺るがない。変わらない生活を続けることができる親父を僕は尊敬している。学生時代柔道をやっていた親父は今でも俺より強い。けっこうなんでもそつなくこなす。今でも馬鹿ばかりやっている俺に、いろいろ言うけれども、それも俺のためを思ってのことだと理解できる。親父は愚直なまでに堅実に生きてきた。だから息子にも堅実にすくなくとも安定した生き方を欲しいのだろう。親父がゴルフをやっている。休みの日は家で寝ているか、練習場に行っている。そこで親父は「同じところにボールを落とし続ける」ことを練習していた。変わらないことをやり続けている。ずっと。親父のボールは同じところに落ち続けていた。僕は首と背中が筋肉痛になっていた。