東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

稽古に参加する

■ 昨日の夕方から、一月に参加するお芝居の稽古に参加した。稽古場は町田だ。新宿から小田急線の急行に乗って35,6分。そんなに遠くないっちゃあ遠くないけど、久しぶりに乗る小田急はなんだか、旅を思わせる。なにせ『小田原行き』だ。乗っている電車は、最終的には小田原まで行くんだ。これはもう旅です。まぁ全然手前なんですが、町田は。

■ 僕にとっては初めての稽古場。やはり初めて会う人の前にいると緊張する。今回はそれがほぼ全員。唯一顔見知りのM君は、別の芝居の本番が12月の始めにあるのでまだ稽古は不参加。それにしても今回の芝居に参加する方々はみな20代前半だ。大学生がいっぱいいる。若え。なんだかみんな元気だよ。

■ 面白いのは、メンバーはみんな一緒の大学に行っているわけではなく、以前も書いたけれども横浜国立大学青山学院大学桜美林大学の人などいて、いろんなとこから集まっている。で、フリーターもいる。学外での芝居の交流で生まれたつながりらしいが、そういうのが多いのは羨ましい。僕の大学は、他の大学と交流するにはちと離れすぎた場所にポツリとある。体育会系サークルは結構交流していたけれども、演劇はしなかったなぁ。稽古の始めに発声練習をみんなでやったりしてる辺りが自分の学生時代の稽古とかぶっていて懐かしい。練習風景もどことなく似ているし、稽古場が和室だったのがいよいよ懐かしい。学生会館の和室を思い出させる。

■ それにしても町田だ。稽古が22時に終わって、ちょっとみんなでラーメンを食っていたらあっという間に最終電車になってしまった。遠いな。稽古云々よりもこの移動に滅入る予感がする。

■ 昨日の稽古前は、夜勤明けだったので、一度家に帰るのもめんどくさいから有楽町の喫茶店でぼーっする。ガルシア・マルケスの『落葉』読了。3人の登場人物の独白により物語が進む。面白いけど文体が難しい。他の短編に至っては全然読み込めない。難しいなガルシア・マルケス。で、その後新宿の紀伊国屋へ。前から見たかった大江健三郎の短編『シックスティーン』が入っている『性的人間』(新潮文庫)を購入。それでもまだ時間がある。夜勤明けの稽古までのこの時間は今後、いろんな時間に使えそうだ。

■ 前回の日記で書いた『青い車』の原作本で使われていたBGMはスピッツではなくて小沢健二の「ラブリー」だった。小沢健二。90年代にこの人が歌っていた曲は好きじゃなかった。なんだか浮かれた感じが。でもちょっと前にふと聞いたら嫌いでもなかった。小沢健二はただ浮かれていただけじゃない気がする。いろいろしんどいことを知っていて、それでも笑ってみとくかというような感じがする。90年代はバブルが崩壊して、いろんなところで終わりと限界が見えてきた時代だった。80年代のような浮かれた時代が終わって、結構世の中うまくいかないなという時代だった。夢見ることが難しくなった。で、それを知ったらどうにかなるか。どうにもならない。毎日は過ぎていく。ただ毎日は過ぎていった。だけど、笑っていこう。とりあえず笑っていこうと小沢健二は歌っていた気がする。いや、小沢健二のことをよく知らないうちにいろいろ言うのは早すぎる。

■ 映画『青い車』はその一見するところの「軽さ」がなかった気がした。確か原作のリチオはもっと軽いやつだったのではないか。ARATAが演じたリチオはいろいろ深刻すぎたような。そりゃ映画で描写があったように悪夢も見たろうしリストカットをやって肉体に傷をつけていたかもしれない。だけど原作のリチオはヘラヘラしていた。どこか諦めに似た軽さを持っていた(気がする)。絶望的なところにいても笑っていこう、笑っているしかない。原作のクライマックスのリチオの台詞は軽くて哀しくて切ない。諦めるところから物事が始まる。そこにこそ90年代のある側面があったのではないか。思いつきか。

■ 大学時代にお世話になったK先生に男の子が生まれたらしい。あの先生が親父になるって、まだ全然実感がわかない。それどころかそのK先生の奥さんは僕の同級生だ。同級生が子供を出産している。なんだか途方もないくらい遠い世界の話が、すごい近くで存在しているような気分だ。なんにしてもおめでとうございます。K先生の息子なんだ、きっと元気な子なんだろうな。