東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

建築について

■ 本当は昨日の夜、1月の芝居の稽古に参加するつもりだったのだけれども、制作の方から「何時ごろ来れますか?」というメールがあり、「20時ごろには最寄り駅に」と返したら、「稽古場が21時までなんですよ」という返事。結局制作さんと演出さんで相談してもらった結果、僕は休みになった。稽古場が遠いのは仕方が無いし、僕も仕事をやりながらという条件で出演することになったものの、稽古に出れないのは申し訳ない。稽古時間は稽古場に寄って様々。ありがたいところは22時まで使えるが、21時までという施設も少なくない。昨日は青山学院の中の施設と聞いていたので、てっきり22時くらいまでは開いていると思ったが、私学も厳しいんだな。個人的には青学へ行ってみたかったのだけれども、1時間も稽古できないのに、往復で3時間の「移動」はつらい。それにしても稽古に出れないのは申し訳ない。

■ 昨日、建築について少し書いて、久しぶりに以前メモを書きとめていたノートを見返してみたが、建築の話は素人ながら面白い。とはいっても昨日も引用した「不思議な建築〜甦ったガウディ」(講談社現代新書)と「月と建築」という本しかきちんとは読んでいないのだけれども、刺激になることばかりだ。

■ ガウディはうねりや皺を意図的に建築に盛り込むことで、建築に命を吹き込もうとしているけれども、そうではない建築の方が世の中には多い。特に戦後の近代建築は歪な形の建築から遠ざかろうとしていた。1920年代に作られたミース・ファン・デル・ローエのニューナショナルギャラリーは無機質で単純な形態をとっており、その辺りの時代からヨーロッパを中心に巨大な平面と幾何学的形態というような方向性を近代建築は追及していく。

■ 近代建築の第一人者はフランスのル・コルビュジェ。彼の残した言葉はガウディと対極にありながらもとっても響く。
「建築とは《比例》であり、それは《精神の純粋な創造物》である」
「直角の法則に従い、基本的な幾何学立方体である立方体や直方体や円錐形としてデザインされた建築は美しい」

■ ここまでくると、建築という分野が演劇、というか創作の分野と変わらない場所にある気がしてくる。建築物は作品だ。詩や演劇や絵画や映画と同等なものなのだ。考え方は正反対でもガウディもル・コルビュジェも建築というものを通して表現をしようとしている。

■ 「不思議な建築」の著者が本の最後に書いた文を読んでもそのことが分かってくる。

『「生命ある造形的ヴィジョンだ」とは生命の形態を模すことではない。生命体の成長や活動を支えている生命力を建築に呼び込むことだ。あるいは途方もない時間と力によって動き続ける大自然の成り立ちの秘密を建築によって解明しようとする企てだ』

■ 趣味程度ではあるものの、建築に関する本を今後もいろいろ読んでみたいと思う。きっとそこから自分がやりたいことにまたどこかで繋がっていくだろうし、繋がんなかったとしても単純に面白い。