東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『かげわたりのレポート/前川國男』

■ 『東京の果て』でバンド演奏をしてくれたかげわたりのサイトにボーカルの家常さんとギターの鈴木君が、『東京の果て』に参加したレポートを書いていた。バンドとして参加したことに手応えを感じてくれているようでとてもうれしいけど、やはりかなりの苦労をかけてしまっていたことも判り、その点は大事な反省材料だ。テンションは大事だ。テンションは。芝居の練習方法に関する演出家の立ち位置に関しては、いろいろ難しいところで、あれはきっと僕が演出だったからああなってしまったわけで、きっと他の人が演出をやっていたらまたいろいろと異なる展開もあったと思う。どうやって稽古していくのがいいのかは、僕自身もまだはっきりと判らないけど、舞台の全容を演出家しか判らない状況というのは明らかに不健全。その点は間違いなく僕の至らないところだったと思います。もっと作り手側にいるみんなと話し合っていくことが必要だと思う。ちなみに役者で参加してくれた横山くんこと横ちんのブログにもちょっとだけこの公演の感想があります。携帯の写メールなので少し判りづらいけど、舞台の仕込み風景などもあるので宜しければご覧下さい。


今年度の岸田戯曲賞の受賞作品が決まったそうだ。一人は劇団B級遊撃隊の佃典彦さんで、もう一人がポツドール三浦大輔さん。ちょうどフジテレビの『劇団演技者』という番組で三浦大輔さんの作品『男の夢』が放送されているのを毎週楽しく見ていたので、なんだかとてもタイムリーな感じ。


■ 24日(火)。仕事が休みだったので、日中に有楽町にあるメニコンの直営店に行く。メニコンの定額制コンタクト『メルスプラン』の1ヶ月交換タイプのソフトコンタクトをもらいに行くため。一度に3セットつまり3か月分しかもらえないので、3カ月おきに店に通わなければならない手間はあるけど、その度に眼科医の方に目の検査をしてもらえるので、目が弱い自分としてはいいかなと思う。まぁ有料だけど。


■ それにしても眼科医の人はすごい。僕についてくれた眼科医の方は、僕の眼から今まで付けていたコンタクトをするりと取り外し、そして新しいコンタクトをまたもや僕の眼にするりと付けた。すごく簡単にやってのけた。コンタクトの装着はたまに自分でも苦戦するので、あれほど容易にしかも他人の眼からコンタクトを取り外せる技に単純に驚かされる。すごいよ、眼科医。


■ それから稽古まで時間があったので、東京駅に付随している東京ステーションギャラリーでやっている『前川國男建築展』を観に行った。建築家ル・コルビジェに師事し、日本に近代建築を広めた第一人者として大きな功績を残した前川國男の生誕100年を記念した催しで、氏が携わった建築物の写真や建築図面、模型などがたくさん展示されていてとても刺激を受けました。


■ 近代建築というと線形的な美しさから僕なんかはアートなイメージがあるわけで、実際、前川國男が携わった東京文化会館とか、東京海上ビル、京都会館、埼玉県立博物館、さらには紀伊国屋書店本店など公的な施設の建築に目がいきがちなんだけど、氏は他にも戦後の資材の乏しい中で効率よく作れることに重点をおいたプレハブ建築のプレモスや、高度経済成長期の住宅供給として晴海高層アパート、阿佐ヶ谷テラスハウスなどの設計もしており、実は人の住まいとしての建築を視野にいれた活動にも力をいれていたのだということを教えられた。


■ 僕が一番度肝を抜かれたのも、木造で作られた「前川國男自邸」で、それは近代建築としての美しさがありながらも、住むことを重視して作られた建築だった。

『近代史がはじまってこのかた、神殿や宮殿の建築と決別した近代建築家たちは、工場や波止場の建築、そして市民住居、労働者集団住宅の建築にその情熱を傾倒していった。建築家たちがこんな激情をもって生活の幸福をたずね、人間の生活を追求したことは未曾有のことであり、いわゆる近代建築ないしは新建築の問題は、実に人間の建築であり、住居の建築にあったと言ってよいと思う』

と、いう前川國男本人の言葉からも、氏が考える建築の根底には人が住むということが最優先にあることがうかがえる。それにしても前川國男自邸は素敵だった。こんな家に住みたいって思う。


前川國男は一つの場所に留まらず、常に新しいものを追い続けていた人だったそうだ。ル・コルビジェから教わったモダニズム建築の様式をそのまま形にするのではなく、日本の風土や環境の中で、日本独自の近代建築を模索して、さらに時代に合わせて建築技術の近代化、方法論を次々と生み出していったのだという。

『建築における真実とは一体なんだろう。フランスの文豪ゾラに次のような言葉があるという。「・・・もしも『細部の真実』に支えられなければ小説という大きな『虚構』はたちまち崩壊してしまうだろう・・」と。同様に建築も、それを構築する『細部の真実』に支えられなければたちまち崩壊せざるを得ないだろう。(中略)ちょうど現代の散文文学が、『細部の真実』に支えられて、人間の行動そのものに作者の詩を描き出すのと同じように、建築もまた、その『細部の真実』に支えられたフィクションと考えられるのではないか。』

建築というと芸術から離れた位置にあるような感じがしたけど、上に引用した氏の言葉からは、作品を作るという点で建築も芸術と同じ場所にいるのだということを気づかされる。だからこそ、その言葉から学ぶことも多い。

そういうわけで、前川國男著 『建築の前夜』(而立書房) 購入。