東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

旅をすること

■ あんまり知らないけれども、W杯の予選で日本は北朝鮮と同じ組らしい。サッカーはサッカーなんだからと思うものの、組み合わせが決まった絶妙なタイミングから、どうしても外交といいますか、少しそういった視点からそのことを見てしまう。それにしても北朝鮮でいつも通りのプレーができるのか。なんだか大変そうだ。アウェーの試合の日程がかなりきついらしいし。

■ ここ数日、佐賀で経験した夜の暗闇のことを時々考える。あの暗さはただ事ではなかった。本当に一寸先も見えなかった。前に旅をしたときは、そういった夜の暗さを実感しなかったわけだけど、それはやはり車で移動していたことが大きいのではないだろうか。ライトはいつも目の前を明るくしてくれた。その時、夜の世界をゆっくり歩くことはしなかった。

■ 東京では、いや、自分の今までの生活の中であんな暗闇は経験したことがない。そりゃあ芝居のときに劇場が暗転したり、家の中で真っ暗になることはあったけれども。それはいつでも明るくなる保障がある「闇」だ。心地よささえ感じる。夜の世界の「闇」。それはいつまでもそこにただ、ある。だから怖いんだろうし、それ以上の感情が湧いて出てくる。そこに住んでいる人にとって、その「闇」は切り離せないものだ。生活の半分はその闇の中だ。きっとそれだけで「闇」との関わり方は変わる。変わって当然だ。東京という常に光が存在する街から突然放り込まれたからなのかもしれないけれども、あの「闇」は僕にとって計り知れなかった。

■ だからまた旅がしたくなった。僕にとって旅とは「闇」に気付くとかそういったことだと思う。かといってそれを目的にして、どこかを目指すとかでもなく。フラフラとどこともなく行ってみる。車で、徒歩で。そうして見えてくるものがある。感じてくるものがある。いわば「空気感」だ。旅をしたとき、関西圏に入って感じた関東と、東京とは絶対に異なるあの「空気」。重厚な感じ。佐賀には「闇」があった。それは他の土地でもあるはず。佐賀とはまた異なる表情で。観光名所を巡ることや、お勧めの美味しいご飯を食べるといった旅行を否定するとかではなく、ただきっとそれとはまた違う「旅」が確実にあるはず。

■ 北海道にいた時、僕はそれに近いことをいつもしていた。時間ができたら車で当てもなく走った。目的地へたどり着くことは重要ではなかった。動いていることが重要だった。景色を凝視していたわけではなかった。音楽をかけながら、それを聴くことも意識せず、景色は通り過ぎるまま。時間が過ぎているだけだった。無駄と思えることが重要だった。また「旅」がしたい。持って行くのは日本地図とお気に入りの音楽だけでいい。その時は、車で行くのかもしれないし、電車で行くのかもしれない。その速さで進むから見えるものもある。今度はもう少し歩こう。歩く早さでやっと見えてくる世界もあるはずだから。