東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『面白い、だけで過ごすことができた』

燃えるゴミの日なのでゴミを捨てに外に出る。寒いが我慢できないほどではない。とある件で、少しばかり嫁と口論。悪気はないだろう。それでも納得いかないことはいろいろある。が、それに不満を言いたい気持ちもわかるが、自分が「してあげたい」善意は、時に、受ける側が望まないこともある。それは飲み込まねばならぬこともある。

 

マスクは嫌いだし、外せるなら外したいのだけど、冬は暖かいので、それはそれでマスクも悪くないと思ったりする。職場で大掃除。今年は少しばかり例年と意味合いが違い、なんだか除菌中心の掃除をする。それで、ふと、家の大掃除などまったくやっていないと判明。まぁ、いいか。

 

夕方から夜にかけて、車で仕事モロモロ。都内は渋滞。ふと、少しだけ、陽が長くなったような気がしたが、気のせいかもしれない。三日月がとてもはっきりくっきりした三日月。

 

それから都内から近県へ猛烈に移動する。で、また夜に都内に戻る。車の気温計によると外は2℃とのこと。ただ事ではない寒さ。寒波がきていて、日本海側は雪もつもっているという。仕事が終わり、車で帰宅。

 

録画していた『いろはに千鳥』を観る。平成ノブシコブシの徳井さんの回。20代の養成所からデビュー前後の頃の話。貧しかったし仕事は無かったけど、楽しかったと語る。いまみたいにグランプリがあるわけではないので、すぐにチャンスがつかめたわけでもないし、グランプリで優勝したりするというワンチャンスのようなものがあるわけではなかったけれど、再生回数やフォロワー数など数値化できない、「面白い」という評価だけで仕事ができていた、と語る。その言葉、同世代の僕にも実感はあった。派遣やアルバイトで収入は少なかったけれど、どこかでなんとかなる、という気持ちはあったし、自分の面白いと思うものを追求したいという気持ちで、素直に行動できていたとおもう。もちろん、僕とTVなどで活動されている芸人の方を一緒くたにできないけれど、芝居を作る環境も、まだ、個人が思い思いの創作をすることがすべてで、「あの劇団の、あの作家さんの作品は面白いらしいぞ」という噂を耳にしては、自分たちの足で劇場へ向かっていた。

 

いつからか、物事の評価が、いいねの数や、再生回数、そして、そういった賞レースで受賞したから面白い、というようになり、面白さも数値化されてしまった。それは一見、わかりやすくなったけれど、それによって失ったものも多いと思う。

 

自分も歳を重ねたからかもしれないし、立場が変わっているからかもしれないけれど、それでも、今の、このなんともいえない息苦しさはなんなんだろうと思う。