東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

どういう距離感か

■ 稽古の日々が過ぎていく。昨日の祝日も無論、稽古だった。

■ 稽古の度に小田急線に乗るので、当初旅のように感じた稽古場への行き返りも本を読んだり、一緒に参加している役者と話しながら帰ったりと、そこそこ慣れてきた。

■ で、芝居だ。どういった距離感でこの芝居に接していいのかいまだに悩む。はっきりいっていろいろ言いたいことはある。だけどそれを言っていいのだろうか。この前の稽古で僕の出番ではない場面を抜きで稽古していたとき、演出家と役者が悩んでいて稽古が停滞したので、少し口を出した。僕自身は、演出に異議を申し立てるとか、そういったつもりではなく、ただスムーズに、それでいて演出家の意図をうまく役者に伝えることができるようにアドバイスをしたつもりが、なんだか結果的にいろいろと悩ますことになってしまった。

■ どうしてそうなってしまったのか考えると、まぁ思い当たる節もあるんだけど、なんというか、どうもいろいろ歯車が噛み合わない。その集団になじもうとするべきなのか、あくまでも作品作りに徹底するべきなのか。やりにくい。

■ 一応、台本が出来上がったらしく、演出家も幾分気が楽になったようで、それはそれで少し明るい兆しが見えてきたのかもしれないが、果たしてどんなものか。何がネックって演出家が19歳で、初演出ということ。それが信用ならないとかそういったことではない。俺が初演出したのも19歳だった。分からないことだらけで、ミスばかりしていた。やりたいことはいっぱい頭の中に浮かぶのに、それをうまく口に出来ない。形ばかりが気になって、外見だけ取り繕うとしていた。で、心外かもしれないけれど、いろいろ似ている気がする。一生懸命やっているのは分かるけど。

■ その失敗のおかげで得るものがいっぱいあった。あの経験は大きかった。演出するということを考えるきっかけになった。自分のことを棚に上げて言うなら、演劇を志す若い人に、今後の糧になる経験をしてもらいたい。そのためにどう接するべきなのか、うまく分からない。今の自分の立ち位置が近づきすぎなのか、遠ざかりすぎなのか。アドバイスのつもりが押し付けになっていないか。遠慮をしているつもりで、何もしていないのではないか。どうしたもんか。出来る限りのことをしてあげたい。やれることなどたかが知れているが。また一方で、そういうことを望んでいるのか分からないということもある。頭数そろえるために呼んだくらいにしか思ってなかったら、口出されるのも心外なのかもしんない。いくらなんでもそれは卑屈に考えすぎか。でも俺は自分が19歳の頃はなんだか口出しされるの嫌だったからなぁ。いっつも先輩に口ごたえしてたし。やりずれえ後輩だったと思う。

■ 年末ジャンボ宝くじを買ったことを仕事場の人と話した。長官の異名を持つ渋い味をだす新人Aも宝くじを購入していた。1億当ったらどうするかを聞くと「株を買います」と言われた。さすが長官だ。

■ なにはともあれメリークリスマス。なんだ、そのまとめ方は。