東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『暇つぶし散策』

ヤングマガジンに連載中の古谷実さんの『シガラテ』が今週で最終回だった。唐突に時間軸だけがいきなり進んで物語りは閉じられていた。

■ 『シガラテ』は毎週ドキドキしながら読んでいた。破裂する直前の極限状態の風船が平然とおいてあるような物語展開、何にもないような生活の中に薄暗く立ち込める闇が見え隠れしていて、いつか破裂する瞬間がくることを勝手に想像してビクビクしていた。

■ 結果的に風船は破裂しなかった。『シガラテ』がそれまでの古谷実さんの作品と異なる終わり方を迎えていると思えるのは、主人公たちが『大人』になった後を描いたところだ。それまでの古谷実さんの作品の主人公たちは中学生や大学生という大人になる(分かりやすい意味で就職して社会にでるといったことの)前段階を生きる若者を描いていて、物語りは時間軸に変化がないまま完結しており、その行く末はそれが悲惨な将来(もしくはひょっとしたら明るい未来)を暗示させながらも、明確な結論を提示せずに読み手の想像に委ねる形だったけど(『ヒミズ』は主人公の自殺という形で、完全に運動停止でしたが)、『シガラテ』ではかつての作品と同様、同年代の青年が主人公ながら、大人になっているところをきちっと描いていた。それはそれまでの何かが爆発しそうな予感を感じさせる物語から遠く離れたひどく退屈で凡庸で、そして安定している平和な生活だった。まさしく大人だった。

■ 過剰も、退屈も、ギャグも、悲劇も、古谷実さんの見つめるものは『稲中』後期からほとんど変わっていないと思う。毒に犯されながら、それでも発病しない。けれど、毒は間違いなく体内に潜伏している。それが前提として存在する「退屈」な日常。それでもそこを生きる。生き続ける。こんな何にもない終わり方を堂々と書き上げた古谷さんはすごいなと思うし、商業誌の漫画連載でこれほど見た感じドラマチックではない結末で、了解した編集者はすごいなぁと思った。作品としてきちんと作ろうとしている意志みたいなものを感じた。古谷実さんの作品に関する興味深い考察がこちらで見れます。

■ 昨日は仕事後、阿佐ヶ谷在住のFさんと飲む約束をしていた。Fさんは時間にルーズなお人だ。それはもうかなりルーズ。かつて「ちょっと遅れる」と言われて「ちょっとなら」と待っていたら3時間待たされたことがあった。本人はそういった状況を打破したいらしいが、おそらく時間の神様のようなものにFさんは嫌われているのだと思う。まぁそれはそれでFさんらしいとすら思えるので僕は特に気にしない。昨日も19時に待ち合わせの約束だったが、Fさんが来たのは20時45分だった。それもまたFさんだ。

■ 遅れてきてくれたおかげというと、些か嫌味に聞こえるかもしれないけれど、本当に嫌味なつもりはなく、せっかく空いた時間で阿佐ヶ谷周辺をフラフラ歩いたのでした。稽古場に行ったり、芝居を観にいったりと阿佐ヶ谷を歩くことは多いけれど、わりと決まった場所しか歩いてなかったので、今まで歩いたことのない路地を歩いてみる。

■ どこか古めかしく、こじんまりとして、猥雑な路地。いいなぁと思う。何がいいのだろうかと考えてもよく分からない。古き良き風景がそこにあるから、みたいなありがちな結論を考えてみても、僕自身が生まれる前からある路地に「なつかしさ」を感じるっているのはやはりちょっと違う気がする。そういうノスタルジーみたいなものとは違う何かに惹かれるからいいんだと思う。なにせ、僕はこういった路地も好きだけど、全然違う近未来的な西新宿のビル群もすごく好きだ。で、その『好き』という感覚は路地の好きとそんなに違う気がしないし、決して時間軸に左右されるものでもない気がする。街がある。そこに路地があって、建築物があって、人がいて、結果的に街になる。次々と肉付けされて、膨らんでいくようにして、結果として今、そこに路地があり、ビルがある。そんな感じを与えてくれる街が好きだ。とにかく、心地よい路地をぼんやりと色々考えながら歩いた。

■ 偶然といえば、これもまた偶然なんだけど、たまたま入った古本屋で、蓮實重彦さんの『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』(青土社)を発見。たまたまその日、ある方のブログでこの本が紹介されていて、ちょっと気にしていたら、たまたま古本屋でみつけてしまった。なんだか自分がミーハーなやつだと思えて恥ずかしくなる。でも買ってしまった。そしてこれがまた面白いときた。ミーハーでもいいや、俺は。

■ その後、Fさんといろいろ話す。阿佐ヶ谷の焼き鳥屋さんはうまかった。その後に行ったバーもいい雰囲気だった。僕はFさんと面と向かうと自分が思っているヨモヤマを湯水が湧いておるのかといわんばかりにしゃべり続けてしまう。話し易い雰囲気をFさんが持っているからなのかもしれないんだけど。とにかくこれでもかというくらい色々話した。自分の中で日ごろ思っていることも、声に出して、人に話して、はたと気づくことがある。だから人と会って話すことは楽しい。もっと外にでなくてはいかんなぁと思う。

■ なんにせよ、待っている時間も、話している時間も楽しい。