東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『SHINGU,』


2008年11月2日。その町は晴れて、とても穏やかな日曜日だった。


新宮駅前のロータリーには客を待つタクシーが数台並んでいた。駅に入ってくる電車は上下線を併せても一時間に二本から三本程であり、観光や仕事でこの土地にやってくる人の他にはタクシーを使おうとする客はいないことを理解している風の運転手たちは、電車が駅に入るまでの合間を埋めるように談笑し、煙草を吸っていた。カメラを抱えて歩いていると、乗り場の一番前に停まっていた40代くらいのタクシー運転手が「観光かい?」と声をかけてきた。そうです、と答えると、どこへ行く予定なのかと聞いてきたので、とりあえず街を散策しようと思っていると返すと、それよりも鯨のウォッチングはどうだと語り出した。「串本で、この時期ならまだ鯨を見ることが出来るんですよ。ホエールウォッチング。あれは、なかなか他では見れないからね。鯨。すごいよ。間近で見れるんだから。ここから、海までタクシーで、往復しても一日で十分満喫出来るし。行きませんか。」新宮でタクシーの運転手をする人たちにとって、観光客を客として捕まえることが一日の収入のどれほどになるのかは僕には判らない。興味がないわけではなかったけれど、鯨を観に行くことは今回の旅の目的ではなかったので、その申し出は丁重に断った。駅前には鳩がたくさんいた。


町の西端にある権現山の中腹。神倉神社の境内を歩いていた時、1人の女性が声をかけてきた。僕らが観光客だと判ると、その女性は、まるでいつもガイドとしてこの町について語っているように流暢な語り口でその町について語り始めた。おそらく、その土地独特のものであると思われる、その女性の言葉の響きが印象に残った。この土地の歴史は、こうやって人の口から語られて受け継がれているような気がする。一通り説明を終えると、その女性はどこから来たのかと尋ねてくるので、東京から、と僕が答えると、それは遠くから、と笑顔を作ると、「ほんとうに、来てくれてありがとう」と、その土地の響きを持った言葉で、返してくれた。


町を歩く。住宅街は区画整備されており、路地は思っていたよりもずっと整っていた。町の開発が進み、『路地』が消えると感じた小説家は、その『路地』を記録するためにカメラをまわした。洗濯物を干す人。自転車を漕ぐ子供たち。談笑する老婦。小説家の見つめた路地と、2008年のこの路地は、もはや別のものなのかもしれない。それは、それで仕方が無い、というか、そういうものなのだと思う。『路地』は消えて、また異なる路地がそこに出現する。人がいる。風景の、人の、そして聞こえてくる音の、輪郭をなぞることで、それが断片であっても、見えてくる今、この町がある。


丹鶴城跡地から、新宮の町を眺めた。海と山に挟まれるようにあるその町。その場所で、一本の木を見つけた。それはかなりの老木で、向こう側が見えるくらい幹がえぐれていた。立ち枯れしてしまっているのだろうと思ったけれど、枝の先を見るとそこには蕾みがあった。暖かくなればその蕾みはひらくのだろう。緑の葉をたくさん茂らせて、見下ろすその町の夏は、どのような風景なのだろう。その老木を、その日、その町でみたことが、何か偶然ではないような気がしてしまう。


「来てくれてありがとう」、その柔らかい響き。小さな蕾みを抱えて、春を待つ老木。穏やかな陽気の日曜。
僕にとっての新宮は、そういう町だった。