東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『喜劇について 引用』

■ 以前、友人の芝居を観にいったとき、その芝居のパンフレットの中に『CUT IN』という演劇に関するフリーペーパーが入っており、そこに今年の5月に公演があった岩松了作・演出の『アイスクリームマン』の劇評があった。筆者は日本近代文学の専門家である松本和也氏という方らしい。


■ その文章にとても刺激を受けたので、ちょっと引用してみる。

『『アイスクリームマン』に限らず、岩松戯曲の登場人物達は、極めて「人間」的である。あるいは、「人間」的でありすぎるといってもよく、しかも舞台表現において「演劇」的である。
(中略)
しかも、こうして舞台上で不可解なものとして捉えられようとする「人間」は、「新劇」型リアリズムや「静かな演劇」型のリアルとはおよそ対極の身体意識によって「喜劇」として、明確に見せ物として演じられる』

岩松作品が「喜劇」として語られることはよくあることで、特にチェーホフの作品に准えられることが多い。僕がいつも岩松了さんの作品について考える参考にしているのは劇作家宮沢章夫さんの『冨士日記』2003年7月の17日の日記『まだ京都にいる』だけど、その中で宮沢さんは

『人の生の皮肉さ、あるいは「運命」というものが人にあるとしたら「運命の皮肉さ」を、まさにアイロニカルに、シニカルに、醒めた視線でみつめる。だから岩松作品はしばしばチェーホフになぞられることが多いのだし、つまり、チェーホフと同様の手つきで人の生を「喜劇」に仕立てる。『アイスクリームマン』はほんとうによく書かれたチェーホフ的な喜劇だった。』

と、語り、さらに岩松作品についてこう書く。

『しばしば岩松作品の登場人物は「いやなやつばかりだ」と言われがちだが、人は誰でもたいてい「いやなやつ」という前提がそこにあり、「いい人」、あるいは「善意」のうそから遠ざかりつつ、人が目をそらしたくなる、人が誰でももっているだろう「いやな部分」をじっと見つめる岩松了という人がいる。「じっと見つめる」とは肯定していることにほかならず、それも人なのだという意味での「存在」の理解だ。それが岩松さんの「やさしさ」である。』

この視線はおそらくとても重要で、ちょっと前に「いやなやつが出てくる舞台が小演劇の世界に沢山存在している」ということを書いたけど、そのような作品を作り出す人たちの意識の中にはこういった目線で『社会』の中に生きる人間を捉えようとする意識が多少なりあるのだと察する。


■ で、再び松本さんの文章を引用。喜劇として演じられる岩松作品で重要なのは「間」だと語っている。

『だから、台詞や笑い(苦笑)や居心地の悪い雰囲気が作られ、壊され、空間が動いていく時、勝手放題な「人間」達を制御するのは、見世物=「喜劇」の中核を成す「間」=タイミングに他ならない。岩松了作・演出『アイスクリームマン』においては、物語上の関係はおろか、舞台上の身体同士の関係よりも何よりも、それら複数の要素が1つの場で交錯する「間」=タイミングとその焦点化こそ(だけ)が命なのだ。』

この考察とほぼ同様の意味で語られた文章を宮沢さんの日記にも見られる。

『では、この劇の主役は誰か。「早苗」なのか。「向山」なのか。「水野」か。「吉田」か。あるいは「アイスクリームマン」と名付けられた「阿部」なのか。いやそうではない。主要な登場人物はこの「空間」だ。「とある自動車教習所の、合宿免許を取得するために設けられた宿舎のロビー」こそが主役である。そこに演出の手がかりがある。本質的に抽象性の高い戯曲は、より克明に、よりリアルに描くことが逆説的に必要となり、同時に、空間に漂う空気をいかに写実するかが重要だと考えられるとするならば、この場がどのような種類の空間なのか読みとり理解するかによって演出の方法に差異を発生させる。そして、様々な人物によってひとつの空間を舞台にしたドラマがある意味オムニバスとして生まれているのだが、それをモザイク状に配置することで、全体を複雑な姿に変貌させ、中心のない重層的な世界を形成する。』

ここで書かれている『空間に漂う空気』とはつまり『間=タイミング』と考えることが出来ると思うし、この捉え方一つで芝居の雰囲気に差が生じるからこそ、『アイスクリームマン』が様々な演出家によって何度と無く再演を繰り返されてもなお観客に刺激を与えることが出来る「強度のある戯曲」なのだと言えるのではないか。


■ こういった目線で作られている戯曲を僕なりに考えてみると、それは『社会』の中でなんでもないように生きている人々が、突如『社会』からはみ出してしまった事態を描くことで、『社会』に生きることということをじっと見つめているということではないか。このとき、意識されるのは『社会』の向こうにある『世界』の存在だと思うけど、喜劇ではあえて『社会』に留まり、『世界』を描かないことで、返って『世界』の存在を観客に意識させているのではないか。当然、これは直接作中の言葉で訴えるというわけではなく、あくまで観客の想像に全てを委ねるという形で、であると思うけど。


■ そういったわけで、岩松作品に代表される『喜劇』的な芝居が90年代に日本の演劇界を取り巻いたわけだけど、この『喜劇』の出現が80年代の演劇から逃れるための一つの手法として出現したと考えられる一方で、『ク・ナウカ』の主宰である宮城聰さんの『喜劇』出現に関する意見はとても興味深い。それはつまり現代では『悲劇』の上演が不可能で『喜劇』しか演じることができないからこそ、『喜劇』だけが行われているということだ。ク・ナウカホームページの宮城聰氏の演劇論『二十代の俳優へ』の一部を引用。

『現代の「先進国」では、仮面無しで悲劇を演じるのが極めて難しくなっている。というのも、近代社会では俳優と観客の社会的階級が同じになってしまったからである。カタカリでさえ、その俳優になれるのが特定のカーストに限定されていた時代は終わり、他の階級(すなわち観客の階級)からでもカタカリ俳優になれる道が開かれている。観客と同じ階級、ということは、観客と同じような教育を受け、同じようなテレビを見て、同じような食事をし、まあ同じような経済レベルの生活をしているということである。そういう人間、つまり観客にとっては自分の席の隣に座っていてもいいはずの人間が、たまたま舞台側に行って劇中人物を演じているのが「先進国」の芝居である。』

これはなるほど最もな話で、僕のようなフリーターで小銭を稼ぎながらチマチマ演劇をしている男がギリシャ悲劇に出てくるような王を舞台上で演じたとしても、それはなんとも滑稽なものとしか映らないわけだ。もちろん、それでも尚、『悲劇』を『悲劇』的に演じる芝居は存在するわけだけど、「私は王だ」と、実際はフリーターで年金さえも真っ当に払えていない男が叫ぶ空間が醸しだすなんとも言えない『気恥ずかしさ』から遠ざかるために『悲劇』が捨て去られて、等身大の『いやなひと』がたくさんでてくる『喜劇』が演じられているというのはとても理解できる考えかただと思う。つまり役者の身体が悲劇を担える身体ではなくなっているということだ。これは結構厄介な問題であると思われる。


■ とにかく『喜劇』としての演劇は90年代に確立された。で、その先だ。宮城さんは『喜劇』だけでは不十分だと語っている。

『等身大に引き寄せるアプローチ(*注釈 これはつまり『喜劇』的な手法と思われる)では、本来悲劇が果たすべき機能が損なわれている。世界の俯瞰が、なしとげられない。「彼の事情」は表現されたが、「世界の事情」は表現されない。ここには「祝祭」は無い。「人間は、生まれ、そして死ぬ存在だ」ということを、「理の当然」として、あるいは「世界の必然」として断言するような仕事、古代の詩人が果たした仕事は、殆ど引き受け手を失っている。』

作り手の身体が『悲劇』を担えなくなってきた一方で、『喜劇』が発展を遂げたのは事実。しかし、そんな状況の中だからこそ今一度『悲劇』を作らねばならないと宮城さんは考えている。僕もそれに同感だ。おそらくこういった思考のきっかけはオウムであったり、9・11であったりすると思うが、90年代以降、結局のところ一個人のアレコレをいくら徹底的につきつめていったとしても、それを一瞬で無に帰してしまう出来事がこの世の中に溢れているからで、それは人為のものだけにとどまらず、さらに例をあげればアメリカを襲ったハリケーンでもいいし、パキスタンを襲った地震でもいい。それは「なぜ」を越えた出来事だ。つまり僕らの手には負えない『世界』が出現したわけだ。

『喜劇』が『社会』に生きる人間の姿を徹底的に見つめる位置にある(そういう位置にあることで『世界』を意識するきっかけを生むもの)とするならば、『悲劇』は、『社会』をあっという間に飛び越えたとてつもない『世界』(そこは人間の「なぜ」が通じない場所)の中で生きていくために『世界』を予め疑似体験をするためのものとしてあるはずで、こんな現代だからこそ、劇場で『悲劇』を体験することが必要なのではないのだろうか。


■ そういった点で、松尾スズキさんの作品は『喜劇』から『悲劇』への橋渡しをしているものが多いと思うし、宮沢章夫さんの作品は『TOKYOBODY』にしろ『トーキョー/不在/ハムレット』にしろ『喜劇』では収まらない『悲劇』的なものがそこにはあると思える。なによりシェイクスピアの代表的な『悲劇』である『ハムレット』が下地になっているのも、そういった意識の現れのようだともいえないか。現代の劇作家の方々は、それぞれの手法で自分たちの『悲劇』を作り出そうとしているように思える。


■ 『喜劇』としての身体しか持たない僕らのような存在が、どのようにしたら『喜劇』を超えた『悲劇』を作れるようになるのかはまだよくわからないけど、それでもやはりこういった世の中で僕が『世界』と向き合うためにどうしても演劇を考え続けることが必要なんだと思う。『社会』の中で一瞬だけでも出現する『世界』。そこに触れることで少なからぬ『救い』が見つけられるのならば、僕は前に進めるのではないか。そういった演劇を考えること。そうやって手探りは続く。