東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『Adieu,Plancher des Vaches!』

tokyomoon2009-02-17

■映像やら諸々のデータを入れているハードディスクが何やら臭いと思ったら、ネコが匂いづけをしていたらしい。あぶねえ。きちんと認識してくれるから助かったけど、そんなことでハードディスクがいかれたら倒れてしまうところだった。ネコは、金属質のあのアレのどこに「こいつは匂いをつけとかな!」と思ったのだろうか。それにしても、匂いが。ウエットティッシュで拭いてもとれない。おまけにハードディスクを使用する程に、本体が熱を帯び、匂いが一層醸されるのは本当に参る。


■イオセリアーニの『素敵な歌と舟はゆく』をDVDで観る。この日本語訳のタイトルはどうなのか。日本で公開される場合、なにかと『ノンシャラン』という言葉が宣伝に使われるイオセリアーニの作品だけど、根底にある昏さは半端ない。腹を抱えて笑うこともさせず、泣く程の哀しさや切なさも与えてくれない。喜劇にも悲劇にも寄り添うことの無い冷酷な視線で描かれる群像劇。


裕福な地位を隠し、町を徘徊する青年とイオセリアーニ自身が演じるその青年の父が、それぞれワイングラスを、中身をこぼさずに片手だけでぐるりとまわす描写。まわりまわって元のポジションに着地するようでもあり、それでいて「ここ」はすでに元の「ここ」ではない別の「ここ」であって、それは螺旋状で一方向にしか道はない人の生を示すようにも見える。一方で、このグラスまわしは、かつて父が子に披露し、それを子がなんとはなしに受け継いでいるものとも想像もでき、かつてあっただろう幸福な父と子の時間をそこに見るのは、弱い僕が、ささやかではあってもこの作品から救いを見いだしたいという妄想に過ぎないとは思うけれど、そういった妄想も許容してくれる作品である気がする。まぁ、そういう描写は微塵もなく、そここそがイオセリアーニの自身の立ち位置に対する明確な意志なのだと思うけれど。


■上記とは全然関係なく、最近『ミクシィ』をパソコンで打つ時、キーを押し間違えて変換してしまいなぜか『未来指示』となることが。いや、全然どうでもいいのですが。