東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『映画3本』

■ 平日の昼間をフラフラできるのは社会人としては本当に幸運なことなんだと思う。主婦をしていると思われる女性や老人の姿が目立ち、若者や中年男性の姿はそれほど見られない。平日の昼間には平日の昼間の持つ速度というようなものがあるように思えてくる。そしてその速度を作り出しているのはこういう女性や老人なんだろうなと思う。特に今日みたいな暖かい日中はそのなんとも言えない心地いいゆっくりとした速度に浸れるような気になる。


■ そうは言っても陽が暮れてくると急に気温が下がってくる。季節の変わり目。冬が近づいているのだろうけれども、この気温の変化はよろしくない。職場でも風邪が流行ってきているようで、僕も気を引き締めていかなければならない。


■ 11月1日(火)。映画の日。というわけで映画鑑賞。

ティム・バートン 『チャーリーとチョコレート工場

以前、友人と一緒に行こうとか言っていたのだけれどもつい先走って観てしまった。最近のティム・バートンの作品は家族の、特に父親と息子の関係を描いているというのはよく言われているが、今回もそんな感じだった。おとぎ話やファンタジーだと割り切れば気にならないのかもしれないが、普通の人間が風船ガムのように膨らんだり、やけに平べったく伸びたりする唐突さが僕には不自然に感じた。僕個人の好みとしては前作『ビッグ・フィッシュ』の方がすんなりおとぎ話として入り込めて面白かった。


■ さらにレンタルビデオを2本観る。

クリストファー・ノーラン 『バットマン ビギンズ』

面白かった。以前、文芸評論家の福田和也さんがこの映画について言っていたことをウル覚えながら思い出すと「現代のアメリカを描いている」というようなことであったと思うけど、映画に出てきた「影の軍団」の悪者は完膚なきまで潰すといったやり方は今のアメリカのテロに対する姿勢と酷似していると思うわけで、その「影の軍団」から格闘術を教わったブルース・ウェインはコウモリを模した衣装を身にまとい、悪者に恐怖を植え付けるという方法を選ぶものの、ギリギリのところで「影の軍団」と異なっているのは、あくまでも裁きは法の下で行われるべきだという姿勢を貫いているところ。


■ 今週号だかどうだか忘れたけど、確か『あぶないデカ』が表紙の『TVブロス』の巻末に掲載されている爆笑問題のコラムで太田光が、アメリカがテロに屈しないといいながらも、テロに対して暴力で対抗している時点で、つまり同じ土俵に乗ってしまっている時点で、それはやはり間違っているのだというようなことを書いていた。正しい道を貫くためには、相手がどんなに暴力をつかってこようとも、逮捕という形をとり、あくまで法の下に平等に裁かれるような立場に相手を引っ張ってくるようにしなくてはならないのだと。


■ 仮に強大な力を持ちえたとしても、それが人を裁く権利にはならない。バットマンはあくまで裏方に徹して、肝心なところを警官や検事に委ねようとしていた。無法地帯同然のゴッサムシティをそれでも立ち直るはずだと信じてバットマンは立ち上がった。当然、そういったことは理想論に過ぎないと言えるものなのかもしれないが、しかし、それでも理想というものを国家が目指しているのだとしたら、愚直にその姿勢を貫いていくしかないのではないのだろうか。アメリカはバットマンになりえるのか。なれたとしたら、その時こそ、アメリカは世界のヒーローと呼ばれるのではないか。


■ で、もう1本。

井口昇 『愛の井口昇劇場』

最近、ようやくDVDを見れる環境になり、レンタル屋にDVDでしか置いてないレアな作品を見れるようになった。まさか、こんな作品が置いてあるとは思いもしなかったけど、これはと思い借りてみる。


■ 代表作『クルシメさん』や『俺の空(くう)』、『アトピー刑事』など、一貫して、愛を貫くために伴う様々な肉体的な痛みの形を描いているように思える。この人はスカトロやレズなどを主に扱うAVを撮っているとのことだけど、きっとジャンルが違うだけで作品の根底に流れているものは一緒なんだろうなと思う。井口監督のAV作品は見たことないし、ちょっとスカトロは見ようと思うと勇気がいるので確認できないけど。若干というかかなり正常からはみ出た性癖も、裏を返せば直向で献身的な愛ともとれるわけで、まぁそれを相手に望まれるかどうかはわからないけれども。


■ でも、一番衝撃的だった作品は『わびしゃび』という作品だった。井口さんが高校卒業直後に撮ったという作品だけど、これはなんだかすごかった。井口さん本人がカメラを廻しながら何かをしゃべり続けるという形で映画は進んでいくのだけど、映画の後半、アポなしでいきなり卒業した高校の文化祭にカメラ片手に乗り込んだ井口さんが、2つ下の後輩の女子高生をカメラで撮ろうとする場面があるのだけど、その時のその女子高生の表情がなんとも言えない。眠たげというか悲しげというか。井口さんのカメラワークやコメントはなんともいえない狂気をはらんでいるようで、しかしそれはきっと自分なりに真実を見極めたいと思うところから生れた行動なわけで、時にぶれる映像が、時に乱れる音声が、撮影したその瞬間に起こった奇跡のような積み重ねが、そういった行動を反映しているかのようにフィルムに焼きついているように感じた。


■ そしてクライマックス、井口さん本人が「敗北者の顔を映す」といって自分の顔を真正面から映すのだけど、その時の井口さんのあの表情、あの目はなんともいえない。カメラを通して何を見つめようとしているのか、ひたすらにまっすぐな視線に思わずドキリとさせられる。