東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『南極物語』

■ ディズニーが配給している『南極物語』(原題『EIGHT BELOW』)の試写会に行ける機会があったので観て来ました。正直なところ、この手の映画は何かのきっかけがない限り自分から観に行こうとは思わないのですが、観れてよかったなと思います。お話としてはちょっと都合のいい展開だなぁと思ったりもしたのですが、そういうのは置いておきます。なにせ犬ががんばっておるのです、犬が。思わず涙もでてきます。


■ ふれ込みでは日本の『南極物語』のハリウッド版らしいのですが、設定以外はどうやら別物のようです。日本版『南極物語』を観てないのでその辺はなんともいえませんが。クライマックスで主人公の男が半年振りに南極のベース基地に戻り、死んだ(と思われた)犬を目の当たりにして「取り乱すな」と自分に言い聞かせる場面が印象に残りました。自分の中に湧き上がってくる感情を必死で抑えようとする姿。当然、悲しみはあったはず。だけど『悲しみ』に潰されて、自分の立場を放棄することへの抗いがそこにはあった。それは不可抗力であったとはいえ自分の愛する犬たちを置いていってしまったことに対する、犬の飼い主としての責任を全うしようとする姿勢に見えた。感情を抑えるからこそ、むしろその深い愛情が伝わってくるようでした。


■ 『南極物語』は1983年に製作された。配収およそ60億円の大ヒットを記録し、97年に宮崎駿監督の『もののけ姫』に抜かれるまでの14年間、日本映画界で売り上げ1位だった。『南極物語』はその点で日本の映画史に残る映画なのかもしれないけど、別の意味でもこの映画は日本映画界において重要なポジションにある。ハリウッド版『南極物語』の製作総指揮に一人だけ日本人が表記されている。角谷優。この方もともとフジテレビの社員。この人は日本版の『南極物語』にも企画で名前を連ねている。日本版『南極物語』はフジテレビがその製作の主体になっている。現フジテレビ代表取締役会長の日枝氏の名前も製作指揮にあったりする。


■ ここからは『南極物語』試写会の際に配られた資料を参考にしております。テレビ局が映画を製作することは今でこそめずらしいことではないけど、当時はまだ映画会社とテレビ局は敵対関係にあるような状況であったという。だからフジテレビ主体で『南極物語』が製作されるということは当時の業界内では画期的なことだったとか。で、資料を引用。


『当時の日本映画は、映画製作・配給会社が映画を製作し、配給することがまだ主流だった。しかし、映画の制作費は膨大で、とても1社でまかないきれなくなっていた。そこへ角川春樹事務所のような独立プロが映画製作に乗り出し、独立プロが入り混じって複雑な製作・配給形態に変わりつつあった。『南極物語』の配給に洋画配給会社だった日本ヘラルドが参入したのもその一環だった。フジテレビが出資した『南極物語』が大成功したのを受けて、テレビ局や出版社、新聞社などのマスコミや広告産業、一般産業も映画に出資するようになった。それが現在の製作委員会方式につながった。テレビ局などの進出は衛星放送などの局が増えてソフトとしての映画の確保が必要になったことや、映画製作がビジネスとして成り立つようになったことが原因として挙げられる。『南極物語』はその記念すべきファーストステップになった。』


ものごとにはタイミングがある。もちろんそれは後から結果を見て語ることができることなのだろうけれども、『南極物語』のヒットがなければ、今の日本映画業界を形づくっているようなシステムはなかったのかもしれない。おりしも経済はバブルに向かって突き進む時期。映画がビジネスとして扱われるようになるのがこの時期なのもまたタイミングなのか。ちなみにその年に作られた他の映画には大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』や森田芳光監督の『家族ゲーム』、市川崑監督の『細雪』、今村昌平監督の『樽山節考』などがある。


■ 3月1日(水)。雨の一日。夜にちょっとした用事があって、A管理人に電話。パソコン関係のことはいろいろ難しい。