東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『東のロトパゴス』

木村紺神戸在住』8巻購入。7巻を買ったのが去年の3月。1年ぶりの新刊。毎年1回の楽しみ。この巻では時間の経過が早い。大学4回生になった主人公の春から冬までの日々が一気に進む。些細な日常と卒業を間近に控えた学生の慌しい生活、友人たちとの交流をあくまで主人公の視点から描く。他者の背景は主人公の見た出来事でしか語られない。だからこそ読み手は漫画に出てくるサブキャラクターの人たちの生き方をその言葉と行動から主人公と一緒に想像する自由を与えられる。日記風に日々の生活が綴られて、いわゆる劇的なものとは異なる漫画であると同時にその一人称の視点を徹底的に貫いているところに僕はこの漫画の魅力を感じる。そこにさらに『大学生』というキーワードが入ってくるところがたまらない。僕は大学という社会から少し浮遊した空間とそこに集まるある特定の年齢層の人たちの話が好きだ。ところで、『神戸在住』はもう大学を卒業してしまいそうな勢いだけど、今後の展開はどうなるのだろう。アフタヌーンを見れば判るんだろうけど、それ読んじゃうと単行本を読む楽しみが減るし。だけど単行本を待つと来年の3月まで待たないといけないし。悩むところだ。


■ 5日(日)。昼間に恵比寿にあるsiteというギャラリーに行く。1月にやった『東京の果て』で映像を作ってくれた谷川さんの劇団カタカナの公演『東のロトパゴス』を観るため。


■ 池袋を舞台にそこに集う人たちの対話が成立しなくなっていく様を描く。どこかぼんやりと薄暗い池袋という土地は登場人物たちの模糊とした不安の象徴のようにそこにある。己が抱えているものの正体が判然としないだけに他者に打ち明けることもできない。抱えているものの重さに耐えることに精一杯で、次第に他者に目を向けることができなくなる。内に籠もろうとする意思が他者の介入を拒むようになっていく。対話が機能しなくなっていく。劇中、対話のシーンでは常に音楽や街の雑踏が延々と音響スピーカーから流れ続けていた。それは対話という歯車が噛み合わずに軋む音のように感じた。悲鳴にも似たその音は誰の耳にも入るのに、しかしそこに込められた救済を求める叫び(というものが仮にあったとしても)は誰にも届かない。ただいつまでも自分の内側で鳴り響くだけ。時にその音が役者の発する言葉さえもかき消してしまうのは残酷な皮肉とも思えた。


■ 白い壁で覆われた空間に必要最低限のソファや椅子などを配しただけの舞台はシンプルでよかった。地下1階にあるのだけどけっこう高さがあって役者が立っても壁に投影した映像とかぶらない。だから映像と役者の動きを効果的に組み合わせることができる。劇中で使われていた映像や音楽もとてもかっこよかった。


■ いわゆる劇的なものや楽しいものははっきりいって舞台上には存在しない。それでも腹の底にゆっくりと何か重たいものがたまっていく。そして足先がとても冷えていく。芝居と劇場の特性を堪能しました。ものすごく刺激を受けました。


■ 夜は芝居の稽古。通し。一箇所台詞を間違えてしまった。本番じゃなくてよかった。あぶねえあぶねえ。稽古後に数人の役者さんと飲む。といっても1時間で終電。休日の夜は少しだけ早い。そして小屋入りまであと3日。