東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『わにとかげぎす』

ヤングマガジンで今週から古谷実さんの『わにとかげぎす』が連載されている。これまでの作品同様に「『社会』で生きること」が軸になりそうな感じがするけど、これまでの作品と異なる点があるとするならば、それは主人公が32歳の男ということだと思う。


■ これまでの古谷さんの(短編や読み切りを除く)作品の主人公は中学生や大学生といった成長期から『社会』に至る直前までの若者たちだった。『社会』は待ってはくれず、毎年規則正しく一歳ずつ年を重ねるごとに否応なく近づいてくる。義務教育下ではたまた大学という場所でまだ『社会』から守られた場所にいるものの、その足音は徐々に大きくなっていく。そういった中で社会で生きることにはっきりとした意味や目的を見出せないままぼんやりとした不安を抱える若者たちがいつも物語の中心だった。だけど今回はそこを一気に突き抜けて主人公が32歳になっている。


■ 『稲中卓球部』『僕といっしょ』が中学生。『グリーンヒル』が大学生。『ヒミズ』が高校中退から10代の終わり。そして前作『シガテラ』が高校時代から始まり物語の終わりで始めて主人公が20代に至り、サラリーマン時代が描かれて結末を迎える。ここには作品を超えたところできちんとした時間の流れがある。一気に突き抜けたように感じる『わにとかげぎす』だけど10代20代と経たところで出てきた順番通りの30代ともいえると思う。


■ ただ今回の『わにとかげぎす』がこれまでの作品とまた異なる印象を受けるのは主人公の『社会』に対する意識のベクトルの方向だ。それまでの作品の登場人物たちは『社会』という形の見えない存在にどう向き合っていいのかまだはっきりしておらず『社会』に対する意識のベクトルは方角が定まらず空転している。『僕といっしょ』のスグ夫は『社会』がどういうものか判らないままそれでもその中で生きようと懸命になるものの年齢の低さや様々な要因によって阻害を受ける。そして圧倒的な『社会』的存在として突如登場する義父に完膚なきまでに叩きのめされる。いわば『社会』に敗北する。『グリーンヒル』における登場人物たちはぼんやりとした不安を抱えつつも『社会』をきちんと認識することに強い意識をもてないまま、そこに目を向けずどうすることも出来ないままただ刹那的に毎日を送っている。この2作において主人公たちは『社会』の前で何も出来ない。つづく『ヒミズ』において主人公はならば『社会』と真正面から向かいあうのではなく『社会』の隅でこっそりと誰にも気付かれずに生きていこうと決意をする。一見すると『グリーンヒル』よりも意識的に『社会』と向き合おうとしているようであるけれど、ここにはこれといった明確な考えがあるわけではない。自分に積極的に『社会』と関わる意味を見つけることができないからこそこっそりと『社会』に席をおくという手段を取っているにすぎない。それは一種の『社会』から逃避でしかない。実際、『ヒミズ』の主人公住田は漫画家になろうと努力をする(積極的に社会と関わろうとする)友人を羨望のまなざしで見つめる。自分にそういう『社会』に対する積極性がないことをなんとなく意識している現われだと思う。結局、確固とした基盤を持たない住田の立ち位置は『社会』からの介入(これもまた父親という存在に拠るところに古谷さんの父性に対するなんかしらの意識があるのではないか)によってあっという間に崩壊してしまう。なんとか積極的に『社会』と関わろうと『社会』に対して自分に課した『悪いやつを殺す』という公約さえも果たすことができないまま、『平凡に生きて行く』ことをうっすらと判りかけたにも関わらず悲しい決着を自ら選び物語は終わってしまう。ここで若者たちは3度目の敗北を迎える。ところが『シガテラ』においては『社会』はこれまでの作品以上に何度となく牙を向くもののそれらは主人公たちに決定的な打撃を与えない。そして主人公荻野はそれまでの登場人物たちが欲しても手に入れることができなかった『平凡でなんでもない退屈な生活』をあっさりと獲得してしまう。それまでの登場人物たちの苦しみや悩みなど吹き飛ばしてしまうくらいあっさりと。何がそれまでの登場人物たちと違ったのか。おそらく変わりはしない。ただ、結果としてたまたまそうなっただけなのだと思う。『社会』はすぐそこにただ存在していた。『シガテラ』までの一連の流れの中に古谷実さんの「『社会』で生きる」ことに対するなんかしらの解答があったと思う。


■ で、今回の『わにとかげぎす』だ。これまでの『社会』に迷う若者に対してこの32歳の主人公は『社会』を疑うことなどこれっぽっちもなく従順に適応することをひたすら願っている。ベクトルは空転することなくまっすぐに『社会』に向けられている。『社会』とは言い換えるなら自分以外の『他者』との関わりだ。32歳の主人公は流れ星に祈る。友達が欲しいと。寂しいと。それは『他者』との関係を欲することつまり『社会』の中に加わることを望む意思表示のあらわれだ。


■ 『わにとかげぎす』というタイトルは『わに』『とかげ』『ぎす』をくっ付けものと考えられる。『わに』は『鰐』で『とかげ』は『蜥蜴』だろう。『ぎす』を辞書で調べたところ『義須』という言葉が出てきた。これは深海に住むソトイワシ科の魚なのだそうだ。『鰐』と『蜥蜴』は地面に這いつくばって生きるいわば底辺の存在。『ぎす』もまた深海に生息する魚ということで底辺に生きる存在だ。ヤングマガジンに掲載されている同作品のキャッチコピーは『アビス(深淵)から浮上せよ!』であることから考えても32歳警備員バイトのなんとなく崖っぷちな印象を受ける主人公をそれらの生き物に例えたタイトルなのではないかと考えることができる。だけどこうやって組み合わせたときに出現するグロテスクな感じはなんだろう。


■ 一筋縄ではいかない予感をさせるのは主人公に届いた差出人不明の手紙だ。『他者』と関わりを持ちたい主人公をその『他者』が拒もうとしている。『社会』に対して無防備に関わりあいを持とうと欲する主人公は、これから幾度となく『社会』つまり『他者』と出会いを重ね、翻弄されながらも、自分の居場所を見つけていくのだろうか。


■ 『社会』に参加すると一言でいってもいろいろな参加の仕方がある。辞書によると『ぎす』は上質のかまぼこの素材になるのだという。『わに』は皮革製品として重宝される。『社会』とは程遠い関係だったはず『わに』や『ぎす』は自分の意志とは無関係に商品となることで突如『社会』に参加することになった。これなんかは僕のこじつけに過ぎないわけだけど、なんとなくこのタイトルどこかに毒があるような気がしてならない。とにかくこの作品、これから毎週月曜日の楽しみだ。