東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『自分の立場を守るたたかい』

■ 仕事でバタバタする。上司曰く『久しぶりに台風が来たな』という按配。でも、僕はその渦中でさえ、どこか安全圏にいる。いや、まだ蚊帳の外だな。せめて土俵の上に立てるようにならねばなるまい。


■ 『ワンピース』の最新刊を読んで感情が昂ぶって一人泣いてしまった。この漫画の主人公たちは『群れ』として存在している。改めて『群れ』について引用しようと思ったけど、ちょっと前にも引用していたので止めた。彼らは自分達の居場所を守るために戦う。それは決して個人的な場所ではないし、世界平和のためとかいう曖昧なものでもない。ただひたすらに自分達の居場所を守るためにたたかう。少年誌に描かれた作品だけに誇張した表現も多いけど、徹底的に『群れ』であることを追及している点ではぶれはない。同じく少年誌に描かれた代表的な冒険活劇である『ドラゴンボール』において主人公孫悟空の必殺技が未知の他者の元気を分けてもうことで作ることができる元気玉であり、それを使うことで一気に主人公と周りの人たちとの関係性が世界規模に拡散してしまうのに対して、他者の手助けは借りつつも、徹底的に自分達の『群れ』の存在にこだわり続ける『ワンピース』との違いはそこにあると思う。『群れ』においてはそこに属する個の存在よりも『群れ』の維持が優先される。その『群れ』を守るために己を犠牲にする姿(=覚悟)に胸打たれる。


■ 演劇というものに関わっていると、劇団という集団に対していろいろと思うことがある。僕が劇団という集団に属していた期間は学生時代のたかだか3年間で、それだけの経験で劇団という存在を否定する気はさらさらないものの、他者とモノを作ることの難しさというものは強く感じた。それでも困難以上に悦びがあったから芝居を続けているわけだし、他者と関わることが不可欠だからこそ僕は演劇が好きなのだとも思う。演出家や主宰の者を頂点として成立しているシステムではなく、もっと違う関係性で成り立つ集団があるはずで、そういった集団を多分『群れ』と呼ぶことが出来るのではないか。僕の近辺に、または全然関係ないところで、いくつかそういう集団を形成している人たちを知っているけど、惰性とは別のある種の緊張感と信頼感でつながっている人たちを見ていると、そこに『群れ』に集う悦びのようなものを感じることができる。