東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『山崎努的な立場を考える』

サントリーの飲料『DAKARA』のCM。あの「じょじょびじょばぁ」に新バージョンが現れた。今回は山崎努だった。まさか歌だけ残してシリーズ化されるとはおもわなんだ。そしてあの歌、ホームページによると「よからぬブルース」という題があるらしい。ブルースときたか。


■ それにしても小泉今日子バージョンは役作りの必要がほとんどないようなほぼ「まんま」の小泉今日子が出ていただけなのに、なぜに山崎努バージョンはどこか古代ギリシャの世界を思わせる設定になっているのだろう。モーゼを連想させるいでたちの山崎努十戒よろしく『DAKARA』のペットボトルを掲げていたけど、シリーズの割には前作とはずいぶんイメージが違う。


■ こういう場合、気になるのはCM製作の順番で、それはキャスト先行なのか、それとも場面設定先行なのかどっちなのだろう。「よからぬブルース」を歌うという設定だけあってキャストを選んだうえで場面を決めたのだとしたらそれはつまりCM製作者たちの間では「山崎努さんなら古代ギリシャで歌うよな、ブルースを」とでも思われているのだろうか。それはどんなイメージだ。なんにせよ、これはインパクト勝負のCMなんだろうな。山崎努による迫力ぜめだ。顔のアップで先制攻撃。そして「じょじょびじょばぁ」の「ばぁ!」でKOだ。あの「ばぁ!」のリキの入れようときたらすごいことになってる。1「ばぁ!」であの迫力だから、7「ばぁ!」くらいになるとちょっとした地震くらい起こせる力があるのではなかろうか。


■ ところで、CMに出演する人というのは高感度や注目度によって選ばれるケースも多々あるだろうけど、そういうものとはまた異なるタイプの人が出演するCMもしばしばある。例えば金融会社のCMのように知名度がなかった人物を登場させてみたら、その人の人気に火がついたというようなパターン。小野真弓とかマツキヨのダンディ坂野とかがそういうパターンになるのだろうか。で、そういうパターンとも別に、極めて注目されているわけでもなく高感度が高いわけでもなく、かといって知名度がないわけでもない、今CMのキャラクターとして使う積極的な必然性はないものの、かといって有り得ないというわけでもない、そういう時勢に揺らぐことない地位にいる人がCMにでる時もある。実はこういう地位にいる人の方がこういう世界では貴重な存在なのではないか。そこに山崎努はいると思う。何がいいってマイナス要素がない。ブームの渦中にいる人を単に起用しましたみたいな面白みのかけらもないCM(例:ピザ−ラ かつてボブサップで今はオリエンタルラジオが出てただエビマヨマヨ言ってるあれ)なんかよりはまれば断然面白い。


山崎努的な地位はなかなか難しい場所だ。他にどういう人がいるんだろう。パッとは出てこない人だけど、忘れ去られているわけではなく見たらすぐ認識できるくらいの存在感。ドラマや映画などでいい味をだす脇役にいる人たちがこういうポジションに多いのではなかろうか。大杉漣さんや阿部寛さん、小林聡美さんだと少し高感度がありすぎる気がするな。樹木希林さんなんか近いのではないだろうか。あと若いところだと意外と木村佳乃さんなんかこのポジションを狙える感じなのではないだろうか。どうだろう。ただあまり狙いすぎるのもいかがかと思うけど。今なら美輪明宏さんとか。いろんなCMに出てるけどどれも狙いすぎてる印象を受ける。今、いろいろなところで注目を浴びすぎているだけに決して山崎努的な地位にいないような気がする。山崎努的な地位はなかなか難しい。