東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『トーキョーあたり』

新宿駅南口

■ 雨が降り続く。でも今日は窓を開けていると風が入ってきて気持ちいい。


■ 23日(日)。夕方にある知人から相談があると呼び出されて池袋へ。あまり受けたことの無い類の相談で、それ俺が答えていいのかなと思いながら、とにかく自分が思ったことを話してみる。その人が悩んでいることをすっきりさせることができたかはわからないけど、とにかくこうやって声に出すこと、人に話すことで気分が変わるのではないか、と思ってみたり。


■ 大学の頃の演劇仲間、Kから劇団健康の『トーキョーあたり』という公演のDVDをコピーしてもらえた。劇団健康はナイロン100℃という劇団の前身で、1992年に解散したのだけど、昨夏、その劇団健康名義で12年ぶりに公演を行った次第。ナイロン100℃の芝居は何回か観たことがあったけど、劇団健康名義の芝居は初体験。と、いうわけで早速拝見させてもらった。


小津安二郎の『東京物語』と黒澤明の『生きる』の2つの話をでたらめに展開させていく筋書きで、ある役を演じる役者が説明もなしに次々と入れ替わっていったりしていた。で、大筋以外のいたるところにも様々なスケッチが挿入されているのだけど、その中に喫茶店のスケッチがあった。ある喫茶店に身体に障害を持った人が現れて、その人に対する他のお客さんの反応を描くといった内容。身体に障害を持っている人を題材にしたスケッチで笑うのが不謹慎だとは思わない。もちろんそういう題材を取り上げるからには、どういう質の笑いを作り出すかは問われるべきだけど。このスケッチ自体は、身体に障害を持っている人を差別しないように気をつけようとして、かえって別の種類の差別的なものが発生してしまうことをシニカルな視点で描いたものだ。ただ、そうだと判っても、どうもこの『トーキョーあたり』という作品に関して言うと、このスケッチの部分だけがやけに突出している感じがして、どうも気になった。


■ その後、そのことを気にしつつ作品が終わってエンドロールが流れると、脚本協力で宮沢章夫さんの名前を発見。で、本当にたまたまなんだけど、先日購入した『東京大学「80年代地下文化論」講義』の中でこの喫茶店に関するスケッチを宮沢さんが80年代に書いたと仰っており、想像するに『トーキョーあたり』の脚本と演出を担当しているケラリーノ・サンドロヴィッチさんが、宮沢さんが書いたその喫茶店のスケッチをそのまま作品に挿入したのではないかと思うわけです。


■ で、そういうことに気付いたら、この『トーキョーあたり』は80年代に出現した演劇的手法によって作られた作品なのだと思えてきた。ここで『東京大学「80年代地下文化論」講義』に書かれている文章を引用。

『「近代のやり直し」、あるいは例えば<近代>を<構築>、<反近代>を<反構築>だとするならば、80年代的な言い方になりますが、やはり、そこにあったものは、<脱構築>という言葉で表現されるものになるのでしょう。』


これは、80年代のクリエーターがどのようにそれまでの時代の流れを乗り越えようとしたかについて宮沢さんが語った言葉だが、演劇について考えると<構築>とは60年代以前の新劇で、<反構築>とは60年代に出てきたアングラのことになると思う。明治以降、海外から進出してきた新劇が日本に広まり、アングラはそういった新劇から遠ざかろうとした。で、そういった演劇的な流れを乗り越えるために80年代のある一部の劇団は<脱構築>という意識の元に芝居を作った。<脱構築>とは言い換えるなら「ずらし」ということではないか。


だから劇団健康は「東京物語」や「生きる」を題材に使いながらそれらを意図的にずらしていった。物語を解体して、役者も説明ナシに入れ替えていく。そうやってずらすことが1985年に旗揚げした劇団健康がそれ以前の演劇に対抗するための手段になっていたのだと思う。今回、どういういきさつで劇団健康名義の公演をすることになったのかは判らないけど、ケラさんはかなり意図的にこの80年代のずらしの手法を取り入れている気がする。もちろん、現在のナイロン100℃で見られる作風も伺える気はするけど、宮沢さんの「喫茶店」のスケッチをまるごと取り入れるあたり、今、この時代に、80年代に自分達の使ってきた方法がどのように受け止められるのかをあえて試しているような気もする。


■ 確かに『トーキョーあたり』はとても面白かったけど、今、このずらしという方法が有効なのかというと正直よく判らない。最近のナイロン100℃の公演をあまり観てないのでよく判らないけど、最近はこのずらしの方法をあえて取っていないのではないかと推測する。ずらしという方法に留まらず、自分達が今、面白いと思うものをやっていこうという姿勢のあらわれだと思う。ナイロンみたいな、もう安定してコンスタントに作品を作れば集客が望める劇団で、そういう積極的な意志を持っているのがすごい。それにいざ、劇団健康をやろうといったらぶれることなく、ずらしの手法を使いこなすバランス感覚もすごいと思う。