東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『自我とかそういうこと』

■ 金曜の早朝、仕事で江戸川の河川敷にいたのだけど、その時に見た空は、本当に言葉にならないくらいの空で、風が冷たくて張り詰めたような感じが、さらに世界を荘厳なものにしているみたいで、もうなんというか、あらゆることは、世界ってやつはきっと肯定するしかないんだなぁとよく判らずに思ってしまったわけでした。



■ 雨が降って、やけに寒かった日曜。神楽坂に行く。神楽坂の石畳の小道、路地を歩いているといつも接している世界とはどこか違う別の空間に迷い込んだ気になる。どこか郷愁を誘うような雰囲気もあるのだけど、かといって子供の頃にそういう世界と接していたわけではなく、こういった感覚は一体どこからくるのだろうと思えてくる。飯田橋から神楽坂に向かう途中にある喫茶店 巴有吾有に入ってみた。パウワウと読む。これはアメリカンインディアン(ネイティブアメリカン)の言葉で、まじない師や降神術師による病気平癒や戦勝祈願のための舞踏や酒宴を意味するのだそうな。それはともかくランプが灯る店内はいい雰囲気だった。


■ それからシアターiwatoという劇場で佐藤信さんが演出する『ハムレット/マシーン』を観劇。自分にこの戯曲を理解するだけの知識、広い視野で世界を見ようとする意欲がまだまだ欠けていることを痛感するも、火が燃えて、水が滴り、砂が降ってくる舞台の上でありのままの身体をさらけ出す役者の迫力にただただ圧倒される。あと、ほんとこの劇場がすごく良かった。いつかこういう空間で芝居をやりたいなと思う。


■ 芝居を見終わってから上野へ。友人のKと飲む。Kによると、僕はどうやら頑固らしい。別に頑固であることを否定する気はないのだけど、ちょっと意外だったのは、ここ2〜3年で、以前よりもより頑固になっていると言われたことだ。Kとは大学時代からの付き合いで、その当時から僕のことを知っているのだけど、学生の頃よりも僕は頑固になっているらしい。僕自身は学生の頃より丸くなった気がしていたのだけど、そう言うと「そんなわけないじゃん」と一蹴されてしまった。


■ それでKといろいろ話しているうちに、ああ確かに僕は学生の頃より頑固になっているのかもしれないと思えてきたのは、多分前よりも自分がやりたいことだけを追求しているような気もするからだ。こういうことをこういう場に書いても、知らない人が大半だから無意味なんだけど、学生の頃に作った芝居はどちらかというと「どうしたら観客が楽しいと思ってくれるか」を自分なりに考えて作っていた気がする。だけど、東京に出てから少なくとも自分が作った芝居は観客云々よりも自分が納得いくものを作れるかどうかというところを意識している気がする。もちろん見に来てくれる人のことは考えるけど、それ以上に自分が納得することが重要になっていた。多分、それは以前、正社員だった仕事を辞めたことが大きなきっかけになっていると思うのだけど。


■ 大袈裟にいうと自我の問題なのかもしれない。他の人がどうかはよく判らないのだけど、僕が自我というやつを獲得し始めたのは大学生の頃のような気がする。それが初めて戯曲を書いた2年生の頃なのか、それとも充実していた3年生の頃なのか、はたまた休学して東京に出てきた頃なのか、復学して再び大学に戻った頃なのか、どの時点なのかよく判らないのだけど、とにかく何かしらの意識は大学生の頃に培われた気がする。だけどそれも今から考えると親の庇護の元、自由にできる時間が腐るほどある中でのことだったのだとおもう。そういった生半可な自我がぶっ壊されたのは多分、仕事を始めて、それこそその仕事から逃げ出してしまったあの時期で、そこら辺りから自分の内側にベクトルが向いて行ったような気もする。


■ と、まぁそうやってKと話すうちに段々と自覚できて、ああ、なるほど、俺は頑固だったのかもしれないなと思ったけど、ここに来てまた少し変わってきた気もする。まぁ、それも無根拠といえば無根拠なのだけど、もう少しだけ人に依存するでもなく、自分の内側にこもるでもなく、いい具合の距離感でなにかをやれるような気になっているというか、多分、素直な気持ちで創作というやつと向かい合えるような気もする。なんとなく、そう思う。


■ まぁ、それも漠然としたアレではあるのだけど。とにかく今は見るもの、触れるもの、いろいろなものにこれまでとは違った刺激を受けているような気がして、それはそれで楽しいなぁと思える。