東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『年始』

tokyomoon2007-01-05

■ 今年もすっかり始まっており、今日は仕事始め。とはいっても朝の電車は満員というわけでもない。月曜まで休みの人も多いようで。久しぶりの会社はそれなりに新鮮でもあったけど、正月休みのあっちゅーま加減に呆然としがちな1日となってしまった。


■ 正月はぼんやりと過ごした。今年の正月は『そうだ、読書をしよう』というテーマを密かに掲げていたものの、結局読めたのは密かに1冊だけ。引越しのバタバタで最近、まったく実家に帰っていなかったので実家に戻り、ぼんやりとしていたら本を読む時間がなくなっていた。


■ そんな中で兄と観にいった『硫黄島からの手紙』には衝撃を受けた。映画を観終わってからもこの衝撃を引きずっている。必死の思いで生きようともがく加瀬亮さん演じる青年のあっけなすぎる死に方を目の当たりにしてただただ呆然とする。いくつかのブログで紹介されていた『祖父の硫黄島戦闘体験記』を読むと、さらにこの極限状態においては生死を別つものは運でしかないのではないかと思えてくる。生き残ることの不条理、死ぬことの不条理。人の生死というものはなんなのだろうと思う。


■ で、一方で『鉄コン筋クリート』にあまり刺激を受けなかった。松本大洋さんの作品は以前、いくつも読んでいた。今回の作品は原作を読んでいた身でも充分楽しめるクオリティだったし、声優もすばらしく、とりわけ鈴木役の田中泯さんの声の素敵さといったらなかったのに、映画を観終わった感想は「良かったなぁ」以外とくに出てこなかった。別にかたっくるしく考えるわけではないのだけど、今、このタイミングでこの作品に強度を感じることがどうもできなかった。一つは舞台となった宝町という空間自体にあまり惹かれなかったこと。(いくつかネット上の感想を見るとこの宝町の造形がノスタルジックでとてもいいというのもあるけれど、僕はそういう風に書かれているノスタルジックな雰囲気というものをあの空間から受け取れなかった。そもそもこのノスタルジックな感じという漠然としたものは、今回のことに限らずもっときちんと考える必要があると思う)。それとその空間と主人公たちとの関係が終盤になるにつれ極端に希薄になってしまうように感じたことなんかがあるけど、それだけだろうかとも思う。いや、ほんとこうやって書くと否定的に見えるんだけど、「良いなぁ」とは思うんです。ただ、その「良いなぁ」という漠とした感じの中に何か変な感じがありまして、それがもう少しうまく言葉にできないわけで。これは多分、頭の中で想像したものを具現化することの問題なんだと思うのだけど、この辺はもう少しきちんと考えていきたい。


■ 今日の空日記。快晴。いかんせん明日からの3連休は大荒れの予報。どうも何かある時は天候がヨロシクない。雨男がいるのではないかと思う。俺なのか。You tubeでみたフィッシュマンズの「ナイトクルージング」のPVが本当によかった。