東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『六月末、2つの舞台』

6月下旬、仙台から戻ってきたら、その後、バタバタしていた。仕事のことでもいろいろ。そんな中で、2本、舞台を観に行った。なんとか、ギリギリで。

 

ロロ『はなればなれたち』(吉祥寺シアター
動画で舞台公演を観たり、プロデュース公演は観たことがあったけど、本公演を実際に観るのは初めて。舞台美術がなんだか明るく賑やかで、手作りの感じがあるのに良い具合にチープで素敵。ロロの舞台は、「こうであってほしい、こうでありたい」という一人の想いがあって、それが叶うか叶わないかはさておいて、そういう風に想うことを肯定してくれる。それが舞台の特性と相まって、舞台でしか観ることができない体験ができると思う。特に今回、客演として曽我部恵一さんが出演されていて、その曽我部さんの役はポツポツと「うん」という台詞を言うのだけど、それは話し相手の人に対する肯定なのだけど、そうやってあらゆることを優しく肯定してくれているようで、そういった優しさが舞台全体を包んでいるみたい。それとままごとの「わが星」をそのまま演じた場面があり、好きな作品なだけに、ロロとのコラボというかそれも良かった。あと、初めて吉祥寺シアターにはいったけど、サイズという劇場の構造といいとても素敵な空間だった。気持ち良い観劇後だったけど、携帯をオンにしたら少しばかり面倒な仕事の着信が残っており、電車で帰りながらバタバタとした。


ディミトリス・パパイオアヌー『THE GREAT TAMER』(さいたま芸術劇場)
人に教えてもらった公演。教えてもらうまでは知らなかったのだけど、いろいろ調べて、これは観たい、という気持ちになる。それで、辛うじて行くことが可能だった28日に劇場へ。迂闊だったのは、職場から与野本町駅までが意外と遠いことと、与野本町駅から劇場までも遠かったこと。汗だくでギリギリ劇場へ駆け込み、当日券を購入。2階の見切れ席だったけど、僕は俯瞰で全体を観れる方が良いのでそれはそれで。作品全体はダンスというよりもパフォーマンス中心。空間設計というのだろうか、シンプルなセットの中で、ダンサーやパフォーマーの方々が整った絵画のように配されていく。台詞は無く、身体(肉体と言った方がいいかもしれない)と小道具で表現されるものに、ビリビリと刺激を受ける。ある意味で「生」や「死」、もしくは「性」だったり「聖」と「穢」などを喚起させたりするけど、それはイメージを表現したようなものではなく、身体を通じて具現化されたものが多い。それを観ることで、僕は、自分の中にあった常識というか、モノの見方が壊されるようで、それが心地いい。アフタートークの中ででてきたのだけど、宇宙飛行士の服を着たパフォーマーが出てくるときの呼吸の音が印象的な場面があるのだけど、例えば呼吸、息を吐くという行為は、演出家の故郷であるギリシャの、古代ギリシャ語ではプシュケー(希: Ψυχή、アルファベット表記:Psyche)といい、古代ギリシアの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになっているらしい。そういうことを知ることの刺激。そういうことで、六月の末にとても素敵な観劇が2つできた。

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