東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『訃報』

■ バタバタと忙しい日が続き、日記を書くことはおろか、ネットを見る時間もなかった。と、いっても4日くらいなものだけど。


■ 楽しいことがいくつかあった。前の職場の人たちと久しぶりに会って飲んだ。話を聞くといろいろなことが職場であったらしいのだけど、みんな変わらず元気そうだった。僕も全然変わってないと言われた。この日記を読んでくれているらしくて、それはうれしいもんなんだけど、いざ目の前で「空日記みてますよ」とか言われると気恥ずかしいもんです。それでその翌日、あまり寝てない状態で、伊豆の方に行った。仕事でだけど。眠かったけど、海が見れたのでよかった。国道135号線はほんとドライブには最高だった。


■ かげわたりのPV撮影のために打ち合わせを重ねている。徐々に撮影に向けてやらなきゃいけないことも見えてきた。不安材料がまだまだたくさんある。なにせ、やることなすこと初めての経験だし。時間はまだあるわけだから、きちんといろいろやっていきたいと思う。


■ 大学の部活の先輩の訃報を知ったのは先月31日の夜だった。同期のKがメールをくれた。Kがその先輩に送った年賀状の返事がご家族の方から届いたのだという。どうしていいのかも判らず、とにかくKに電話をかけてみた。何を話していいのか、話すべきことはなにか、といろいろ考えてみても頭がついていかない。ご家族の方からの手紙に、生前の先輩がどういう生活をしていたのか、あまりよく知らなかったので知りたいと書いてあったらしく、ならば、一緒に芝居をやっていたころの写真を持って、今度、時間のあるときに、行ける人たちだけでもご家族の方に挨拶に行こう、とか、そういうことを話して、それでKとの電話を切った。


■ しばらく呆然とした。単純に信じられなかった。僕自身は大学を卒業してから、一度、部活の同窓会のようなものがあって、それで顔を合わせただけで、あとは連絡も取ってなかったので、ここ最近その先輩がどうしていたのかは、連絡を取っていた仲間たちから聞く話だけの情報しか知らなかった。元気に働いていると聞いていただけに、あまりにも唐突だった。


■ 大学在学中に所属していた劇団で三回、一緒に芝居を作った。それで4年になった先輩は劇団を引退した。その後、僕が大学を休学し、さらに復学してからもう一度芝居をやろうと同期や先輩たちに声をかけたとき、その先輩もその芝居に参加してくれて、一緒に芝居をやった。そういうわけで、大学時代、一緒に芝居をいくつもやっていたけど、芝居とは別に何かおしゃべりをしたり遊んだりしたかというと、それほどそういうことはあまり覚えていない。寡黙な人だった。芝居以外で話したこともそれほどなかったような気もする。隔たりがあったというわけではなく、それがその先輩との自然な距離感だったような気がする。


■ もういない、といきなり言われても、それが間違いなく事実であっても、うまく飲み込めない。幾人かの同期、先輩と電話をした。すでに7月に亡くなっていたということがショックだったという人もいた。7月のその頃、僕は何をしていたかとなぜかそういうことを考えてしまう。


どんな事情があったのかは判らない。とくに僕は連絡を取ってなかったし。勝手だけど、それでも、やっぱり思う。死なないで欲しかった。誰でもいいから誰かに声をかけてほしかった。僕でもいい。何が出来るかは判らない。何もできないかもしれない。それでも声をかけてほしかった。なんでもいいから誰かに声をかけてほしかった。人の人生を背負えるほど自分に何があるとは思わないし、無責任を承知でいうけど、死なないでほしい。頼むから、死なないでほしい。いないという、これほどの辛さはない。


思い出したことがある。先輩が部活を引退したあと、僕と同期の仲間たちが3年生のとき、部活の最上級生としてある芝居を作った。その時、僕は仲間たちとこの劇団で一番面白い芝居を作ってやるぞと躍起になっていた。公演が終わって、観に来てくれた人たちが書いたアンケートの中にその先輩が書いたアンケートも入っていた。そのアンケートには、その芝居がすごく良かったという旨の文章がたくさん書かれてあった。褒めてくれたのもうれしかったのだけど、その文章の筆致から、あの寡黙な先輩の、普段は僕もあまり気付かなかった部分が見えたような気がして、隠すことなく、本音で文章を書いてくれたそのことがなんだかうれしかった。そのことを僕はずっと忘れない。

心から先輩のご冥福をお祈りいたします。