東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『同僚の指摘』

tokyomoon2008-04-22

■ 自主映画の撮影素材を使って、すこしばかりの予告編めいたものを作ったのは2月頃。それ自体はかげわたりの楽曲製作用の参考にと思い作った。予告編っぽく作ったのは単に僕が楽しかったから。予告編といってそれを製作関係者以外は誰にも見せていなかった。やっぱりどこかで、自分が撮った映像に不安と自信の無さもあり。その予告編めいたものを、職場の同僚に最近になってみせてみた。さすがに、見せている間は緊張した。


見終わった同僚は映像を褒めてくれた。もちろん知り合いだからということもあるのだろうけど、それでもうれしかった。引きの画が良かったと言ってくれた。なにか想像力を喚起させる映像になっているという。うれしい。逆に、寄りの画はありきたりな構図になっていないかと指摘を受けた。


それで、自分なりに思ったのは、僕は良くも悪くもやはり舞台の感覚で映像を撮っているのだろうということ。舞台を作る時、基本的に考えるのは舞台上での人物や小道具、照明の配置で、何かに寄るなどということはまったく考えない。舞台というある意味では定点カメラのような場所で、どういう風に作品を立体化させるかばかりを考えてきた。欲を言えば、今まで撮ったどのシーンも、もっと引きたい画がいっぱいあった。使っていたカメラのレンズや、部屋の構造上どうしても無理で諦めたところもある。僕自身が、そういう引きの画が好きなのだと思う。


もしも、映像の中で、引きの画が良い具合に映っているのだとしたら、どこか自分のそういう部分が活かされているのかもしれない。だからその感想はとてもうれしかった。ただ、引きの画にも指摘をひとつ受けている。人物以外の背景や小道具に、もっとこだわれたのではないかという指摘。それも言われるとぐうの音もない。ほとんど考えていなかった。


もちろん、寄りの画に関する指摘は大きな課題。その指摘もあって、この前の撮影は寄りの画を多少工夫してみたつもり。とにかく、そういう指摘は本当にためになる。


■ それと、映像にテロップは要らないという指摘を受けた。一応、予告編っぽく少しだけテロップをいれたのだけど、それが受け手としては想像力の妨げになっていると言われた。それも、またナルホドと思った。要らなかったのかもしれない。言葉で説明をしたくないからこそ、映像にしたわけだし。そこは、もっと自分の作品に対してプライドを持つべきだった。


■ これからの編集作業では、引きの画と寄りの画をどうつないでいくかを一つの課題にしようと思う。説明くさいところは無しの方向で。