東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『タラコが食べたかったのかい』

tokyomoon2008-05-11

■ 久しぶりに髪を切った。いつ髪を切ったのかまったく覚えていないのだけど、かなり放置をしてのびっぱなしだった。梳いてもらうだけでさっぱり。


髪が軽くなったところで腹を満たそうと地元の入ったことのない喫茶店へ行く。老夫婦が2人で切り盛りしている喫茶店だった。ランチセットということで、タラコスパゲティにサラダとコーヒーがついたものがメニューにあったので、それを頼むと、なぜか思いっきりナポリタンが出てきた。そうきたか。少し戸惑ったけど何も言わずそのナポリタンを食すことにした。小市民っぷりをいかんなく発揮。と、そこに40代の男性が。よもやと思ったが案の定「タラコスパゲティのセットを」とその人は頼んだ。どうなるのかとさりげなく見守っていると、しばらくしてからご老体の店主さんがスパゲティを運んできた。それもまたナポリタンだった。それを見た40代男性は言った。「あれ?タラコじゃないの?」。至極まっとうな意見だ。厨房で調理を行なう老婆がそれに対して威風堂々と答えた。「あんた、タラコが食べたかったのかい」。まぁ、そうメニューに書いてあったし、そりゃ選んだからにはタラコを食したい気分になりますわな。とはいえ、そういう風に言われるとどうしよもなくなる。40代の男性も「いや、もう、これでいいですけどね」と諦めていた。その後、店主がメニューの書かれた看板の、タラコスパゲティの表記をナポリタンと実に素早く書き換えていたのだった。


■ ここ最近、編集の時間がまったく取れてなかったので、この休みは本腰をいれて編集をしようと意気込んだ。はっきり言って編集は滞っている。やればやるほど、これでいいのかという迷いが生じる。それと『愛おしき隣人』などとても刺激を受ける作品に触れると、そこでまたその作品のカット割りの仕方の影響などを強く受けてしまい、気持ちの整理で精一杯になってしまう。脚本を書いた段階、撮影をしていた段階とも異なる感覚で編集に臨んでいる。今、考えているつなぎ方が一番いいだろうと思い、以前つないだシーンもいくつか変更しつつ、少しずつ進めていく。とはいえ、まだ先は長い。


■ 気分転換も兼ねて、というかどうしても観たかったので、ロイ・アンダーソン監督の『スェーディッシュラブストーリー』を観に再び恵比寿へ。中学生の男女のラブストーリーの形を取りつつも、劇中にはどこか昏さを抱えた大人たちがたくさん出てくる。なにせ物語の始まりは死の病を抱える老人たちが集まる病院。大人たちは押し殺したように泣き、時に叫ぶ。主人公2人のラブストーリーはラストにくるとすっかりなりを潜める。映画は彼らの周りの大人たちへと視点が移行していく。絶望的なまでに現実に希望を持てない人たちが右往左往する、もはや喜劇と呼んで笑うしかないような哀しいラスト。そこに幸福な少年たちは入ることさえしない。物語はいつの間にか、主人公たちを蚊帳の外へ追い出して終わるけれど、それをひっくるめて、少年たちのさわやかな恋は、これから始まる絶望的に暗い現実の序章でしかないと断言しているような印象を受ける。一瞬の美しさを放ち、散るはずの花火は、この作品の中では、炸裂することのないまま(そのうえ大人たちは美しい花火が打ちあがるところさえ見れないという描写までもがある!)、その残骸が発見される。物語は少年たちの淡い恋のままでは決して完結しない。そこに『愛おしき隣人』にまで通じるロイ・アンダーソン監督の人間観があるように思えた。やっぱり面白いス。