東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『例えば[幸]という文字で』

tokyomoon2009-08-19

ある方から携帯にメールをもらう。タイトルが[花]暑中見舞い[花]。おそらく会社が異なる携帯から絵文字を添えて送ってくれたのだろうけど、その絵文字を認識できず、文字になってしまったのだろうと推測される。それはそれで異なる味わいがあるような気がする。


山口に行く予定は着々と進めている。芝居のチケットも予約し、レンタカーも予約した。せっかく西日本に行くのなら大阪や岡山など知人のところにも顔をだせればと思うけど、今回は無理だと思われ。ひとまず山口に辿り着かねばならないし。今のところ一緒に行くのはおさむんのみ。何人か声をかけてみたものの、みんな都合がつかず行けないとの返事。残念ながらこればかりは仕方なし。おさむんにはペーパードライバーだと言われてしまった。と、すると、これは、わたしが運転をアレしてという按配で。少しばかり不安もあり。まぁ、なんとかなるかと。


佐藤真監督の『花子』『保育園の日曜日』を観る。『花子』において最低限のテロップのみで、極力説明を排除している作りは『SELF AND OTHERS』と似ている。おそらくそこが佐藤監督の立ち位置ではないか。花子を取り巻く家族の、微妙な距離感が映像から伺える。言葉ではそれは語られない。決して不幸な家庭というわけではないし、不仲であるわけでもないが、暗黙の了解のように互いにはそれぞれの時間があり、それなりの距離感がある。それも含めて、家族としてきちんと成立している。そこが映像で切り取られる。肯定も否定もなく水平な目線で。だからこそそこに色々なものを喚起される。『保育園の日曜日』の溢れ出る様な遊び心がまた良い。幸福な時間がそこにあるよう。例えばそれを[幸]時間[幸]としてみる。