東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『けだま』

けだまの遺体を見つけた、という電話をもらったのは9日(水)の夕方だった。家の近くの、とはいっても西武線の高架の向こう側のマンションで、猫が移動したとするならば少し離れていると思われるそのマンションの、管理をされているという年配の男性の方からの電話だった。僕らが町中に貼ったビラを見て電話をくれたのだという。
「非常に残念なご連絡だと思いますが」と丁寧な対応の電話越し。毛の色、首輪の特徴からおそらく間違いないだろうと言われ、あまりにも想像しなかったことにどう返答していいか戸惑う。ひとまずマンション名と住所、それから名前をメモする。最後に「本当にこういった電話で残念だとは思いますが」と改めて声をかけて頂き、いえ、連絡を頂けるだけでも本当に有り難く、と返事をしたもののその時にはもう自分でも何を言っているのかよく判らない状態だった。

いてもたってもいられず、職場に早退したい旨を伝え、会社を出た。四ッ谷から電車に乗ろうと歩き始めたけど、足に力が入らず、気を抜くと座り込んでしまいそうになるのでタクシーに乗る。行き方は任せると伝えつつも、江戸川橋の付近で軽く渋滞に巻き込まれてしまい、この道をこちらに進んでもらって、と口出しをし、こちらの指示するルートを走ってもらう。自宅前に着いて車から降りるとどういうわけか腰の付近が痛くなる。

偶然なのだけど、その日、たまたま妻が午後から半休を取って家にいた。僕が会社を出る前に事の次第を伝えておいたので、妻もすでに身支度を終えていた。それで、妻とそのマンションへ向かう。自宅から徒歩で5分もかからない距離のそのマンションは、すぐに確認することが出来た。マンションの入口付近にある管理人室に向かう。「早かったですね」と出てきてくれたのは電話越しで想像した通り、ご年配の方で、はっきりとは確認してはいないのだけど部屋の奥がどうやら居住スペースになっているようで、そこに住み込みで働かれているようだった。僕たちに椅子を出してくれたので、腰の痛みが酷かった僕はそこに座った。妻は座らなかった。透明なビニール袋にいれられた首輪を渡される。それは見覚えのある赤い首輪で、間違いなくけだまの首につけていたものだった。初めて訪れた場所で、会ったこともなかった方から、見覚えのあるものを渡されることの違和感。奥の部屋からご年配の婦人が出てきた。夫婦でこちらを管理されているようだった。

マンションの入口付近に植え込みがある。マンションの管理をされているTさんがその植え込みの中から顔を出して絶命しているけだまを見つけたのは4日(金)の朝7時頃だったという。Tさんの話だと、かなりの量の血を吐いて倒れていたそうで、すでに死後硬直が始まっており、4時とかその時間帯にその場所で息絶えてしまったのではないかと推測された。僕らがけだまのいないことに気付いたころに、けだまはその場所にいたことになる。外傷はなかったらしい。どうしてその場所で、その時間に、そういう状態になってしまったのか。様々な憶測は出来るけど今となってはそれを追求したところでさして意味がないように思える。僕らはけだまが何時、どのようにして家から逃げ出したのかさえ判らない。

想像もしなかった事態の中で、本当に有り難いと思えたのはTさんのような方に見つけて頂いたこと。僕らが訪れた時には、マンションの敷地の奥のところにけだまのお墓を作って土の中に埋めておいてくれていた。花や水も添えていてくれていた。そういった動物の遺体を、仮に区の清掃の方に引き取ってもらうようにすると、遺体はゴミとして処分されてしまう。Tさんはそのことをご存知だったようで、けだまを見つけた時に、そういう処分はあまりにも忍びないと考えてくれて、ご自分の手で、お墓を作ってくれた。僕らは、けだまの首輪に連絡先を書いておくのを怠っていたので、その時点でTさんたちは、その猫がどこの誰のものかは判らない。それで近隣の方にも話してまわってくれていたらしい。それで4日後にポスターを見つけて連絡をくれた。
僕らの自宅はアスファルトだらけで地面がない。Tさんが提案してくれたのは、1年ほどこのままマンションの土地に埋めておく、すると1年後には白骨化するので、その遺骨を僕たちが引き取るという形はどうかと仰ってくれた。お言葉に甘えてそうさせてもらうことにした。

無事であって欲しい。そう願いつつ、会社に行く前や、仕事が終ってから、夜寝る前に家のまわりを歩いてまわった。何かの物音に敏感に反応し、けだまがお腹をすかせてるんじゃないかと玄関の前に餌を置いた。何も情報がないまま、けだまを探した4日間は本当に辛かった。想像もしない結果だったけど、はっきりと結論がでたことに対して、正直肩の荷がおりた様な気にもなった。Tさんのところから家に戻ってくる。町中に貼ったポスターを剥がす。家に戻る前に妻は、せめて隣の人にはと事の次第を報告に行った。僕も行こうとしたが、泣き顔が酷かったので来るなと妻に言われて、先に家に戻った。もう1匹の猫、雄のみぞれが玄関で待っていた。にゃあといつものように鳴く。お前は知っているのか、けだまはもういないんだぞと聞いてみるけれど、判っているのか判っていないのか、みぞれは体を僕の足に刷り寄せてくるばかり。腰が痛く、立ってられなかった僕は台所に座り込んで、それでまた涙が止まらなくて泣いた。

ほんの数日前まで、僕らのすぐ横で、けだまはのんびりと寝ていた。それが癖なのか、よくベロをだしたままでいる猫だった。年齢的には年上だったが、雄のみぞれに比べてけだまは痩せていた。子供の頃は病弱ですぐに下痢をしていた。僕はどうしよもなく周りでおろおろしているばかりで、妻がいつも面倒をみていた。けだまは、妻の腕に頭をのせて寝ている時が一番幸せそうだった。ひいき目もあると思うが、けだまは本当に頭の良い猫だった。決して無意味に泣かなかったし、トイレもきちんと決まった場所にしかしなかったし、爪も壁等では研がなかった。賢かったけど甘えん坊でもあり、さみしがりやでもあった。僕らが仕事から帰ってくると必ず玄関前で待っていた。雄のみずれより好奇心旺盛で、前の家ではよく逃げ出していた。みずれは玄関が開いていても決して外にはでなかったが、けだまは頭を低くして用心しつつも外へ飛び出した。逃げ出して一晩いなかった時もあったけど翌日にはきちんと玄関前にいた。
なでると、気持ち良さそうに目を細めて、そしてやっぱりベロをだしていた。
どんな猫もけだまの代わりにはならない。けだまはけだまで、僕にとってはかけがえのない存在だった。
もうけだまはいないという現実を受け止めなくてはならないと思う一方で、今でさえ、けだまが、すぐそこの路地から顔をだすんじゃないかと思えてならない。ふとした時に、けだまの姿が思い出され、どうしよもなくなる。まだ、当分はこの状態が続くのだろうと思われる。

けだまのお墓はすぐ近くにあり、いつでも会いにいくことが出来る。今は、まだ、喪失感にやられっぱなしではあるけれど、ともかく、ひとまず、区切りが出来たようにも思う。

ベロをだして気持ち良さそうに眠っているけだまが、本当に愛おしかった。
けだま、けだま。
僕は本当に、君と一緒にいれて幸せだったよ。
ありがとう。