東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『The Universal』

デジタルハリネズミで撮った画像をうまく『はてなフォトライフ』にアップロード出来ず、フォトライフのホームページ上の掲示板で相談したところ、数時間後に的確なご意見を頂く。その指示に従い『はてなフォトライフ』の設定を変更すると無事にアップロードが可能となった。ご意見頂いた方、本当に感謝です。後から冷静に考えれば、そもそも俺はなんでそういう設定の変更を試みなかったのかと疑問に思うくらいの変更なのだけど、その時は、まったく思いつかなかった。あれです、人は混乱している時はそういうことも出来ないのだなぁと思いました。




漫画を2冊購入。

高橋しん 『花と奥たん
西島大介 『凹村戦争

お二方とも名前は知っていたけれど作品に触れたことはなかった。佐々木敦さんが西島大介さんの作品に関して書かれた文章において定義されているSFとファンタジーの違いを引用。

思うにファンタジーとは、つまるところ「ここではないどこか」、そして「いまではないいつか」の物語のことである。われわれが差し当たり「現実」という曖昧な言葉で呼んでいる「いま、ここ」とは完全に遊離していることをあらかじめ宣言して/されている、イマジネーションによる創造物としての世界。(中略)
 これに対してSFとは、たとえどれほど「現実」離れした荒唐無稽な設定を有していたとしても、実は常に「いま、ここ」について語っているものなのだと思う。


この定義に従えば、『花と奥たん』もSFと呼べるのだと思う。主人公である奥たんの行動の決定的な要因として存在する東京に咲いた巨大な『花』は、現時点ではその詳細が一切提示されない。各話ごとにある程度ずつ、その『花』に関する話も挿入され、最初の5話が掲載されている1巻だけを読んでもその先にある何やら絶望的なほの昏さを思わずにはいられないのだけど、あくまでも話の焦点は奥たんとペットのPたんの、旦那たんを待つ日々の生活と料理に置かれる。各話のトップページや最後の2ページのレイアウトやナレーションがほぼ同じであったり、町から見える富士山のカットや八百屋に乳を揉まれるカットが必ず挿入されているというようなものも、繰り返される日常「いま、ここ」を強調するように思える。奥たんの『料理を作り旦那の帰りを待つ』という一貫して徹底される「いま、ここ」が、日々の生活をある種の『上書き』のように塗り替えていく。『上書き』されることによって喚起される何かが受け手としての僕をとても刺激する。というわけですごく面白いんだけど、なぜ奥『たん』でP『たん』で旦那『たん』なのか。そこは謎だ。

凹村戦争』で歌詞が引用されているBlurの『The Universal』。『凹村戦争』は数々の映画やゲームが引用されているけれど、『The Universal』のPVもどうやら『時計仕掛けのオレンジ』をモチーフとして製作されている。過去のモノが堆積し、閉じられた『内』として存在する『凹村』と、未知の存在によって壊滅的な被害をうける『外』としての『東京/セカイ』。『内』にいることに悲観的であり、なんとか『外』とコミットしようとする主人公凹沢と、『内』にいるかぎり『外』に自分が関わることは不可能と諦めている凹伴、この2人の少年の「いま、ここ」に対する立ち位置の違いを軸に物語が展開する青春漫画。悶々とした葛藤を、爽快かつテキトーにぶっ壊すラスト。ひとまず、悩むのはやめて、その爽快感に浸るのも決して悪いもんじゃないような気がする。