東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『東京防衛軍』

家の近所を歩いている時に、嫁松が不可解なドアを見つけた。戸建ての2階部分にあるドア。開けたら落ちる。かつては階段があったのか。おそらくなにかの故があって設計されたドアなのだろうけど、痕跡だけが残ると変な感じ。それにしても、なんだ、なんかVOWみたいな写真だ。



凹村戦争』を読んで刺激を受けた私。ネット上でいろいろ見ていたら、よしもとよしともさんの『東京防衛軍』という漫画が、ちょうど凸になるというか、2作品に共通するものを感じるといった文章に出会い、さっそくとamazonを検索すると500円で売っていたのでクリック。それが昨日届いた。便利なあんちくしょうだ、amazonってやつは。

『東京防衛軍』単行本が出版されたのが1990年。昭和から平成への移り変わるタイミングで作られた作品。好景気とともに肥大化していく東京が、昭和の亡霊たちに破壊されたり、消費税3%の象徴である1円玉型のUFOのような何かによってぶっ壊される。画のタッチは初期の大友克洋さんや浦沢直樹さんのようで、あの頃の漫画といえばという線の感じ。何かにつけてビルが壊れていくカタストロフィーも、個人的にはあの時代を象徴している気がする。
興味深いのは、昭和の亡霊たちを倒す方法に『トレンディ』を配し、消費税というその当時で一番の注目を集めた化け物は、『太古のリズム』という修飾語を添えたダイナマイトを用いる。正反対のモノがそこに同時に出現する。
どちらから優先させるというわけではないのは、2話で構成された単行本の1話目で「旧」を「新」で倒し、2話目で「新」を「旧」で倒すところからも想像できる。昭和以前のノスタルジーも、とどまることを知らずに発展していく都市東京も、どちらも安易に肯定しない。しかし、『東京防衛軍』と大日本帝国軍によって組織された実在の団体名を冠しハイテク機械を駆使した民間団体は、東京という都市を守る。
凹村戦争』が、出来事の外部にしかいることが出来ない若者の、心情を軸に描いているとしたら、『東京防衛軍』は、まさに出来事が起こる中心としての東京を舞台に、心情の描写はほとんどせず、出来事の経過によって物語を紡ぐ。今となっては『東京防衛軍』が扱っている題材自体がすでに過去のモノになってしまっているけれど、今でも決してそれらが色あせること無く読めるのは、『東京防衛軍』が単なるコメディータッチに時代を風刺した作品ではなく、「いま、ここ」を強く意識している作品だからだと思う。

それにしても、あの頃の作品は本当に画のタッチがああいう風というか、なんというのだろう、あれも流行というのか、線のタッチや人物描写に、時代を感じる