東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『奈良で、10年越しに飲み、打つ』

9日(土)の早朝、東京駅に向かう。大学の同期で学生寮の同級生でもあるH君の結婚式に出席するため、新幹線に乗る。仕事の諸々で8日(金)は遅く、そのうえ、送別会なんかもあり、家に戻ったのは朝の4時近くで、これはここで眠ったら起きれないだろうとなんとか目を開け、丸ノ内線の中で、一駅ごとにうつらうつらし、辛うじて東京駅から新幹線に向かう。ギリギリで指定席をとることができたが、車内放送では、自由席は満席で座れない方も多かったらしく、その日ばかりは救われた思い。席に座ったらさすがに寝た。慣れ親しんだ山形新幹線よりも座席が1つ多いので、やけに広く感じる。

新横浜と名古屋を通り過ぎた記憶もなく、京都の直前で目が覚める。絶妙なタイミング。京都で降りて、JRの在来線で奈良へ。そこでもやはり寝ようと試みたが、車内はなぜか冷房が異様に効いていて寒くて寝れず。震えつつ40分強で奈良に着。雨ということもあり、そこからタクシーで奈良公園内の式場へ。9時50分過ぎに到着。10時の式にギリセーフ。


大学の学生寮の同期ということもあって、久しぶりに会う面々がたくさんいた。披露宴で、大学の頃に頻繁に唄っていた『逍遥歌』という歌を、大学に関わりのある面々全員で歌った。ご年配の列席者の方々は手拍子等をしてくれたものの、H君のお嫁さんは年齢が8歳ほど違う、御若い方であり、当然、新婦側の列席者の友人たちも、新郎側に比べ年齢層が低く、どうやら『逍遥歌』はその人たちにとっては、時代のギャップを感じるものだったようで式場には、なにやらまっぷたつな雰囲気があった様子。こちらは、そんなことは気にせず、久しぶりの歌を懐かしく唄う。

睡眠不足もあったのだろうけど、酒に酔ったこともあり、披露宴ですでに酩酊。寮の学友のうち、前日に先乗りしていた数名は、やはり久しぶりに会えて盛り上がったこともあり、前日から飲みまくっていたらしく、こちらも同様に酩酊。式自体は大変素敵なものであったけれど、一部我々ばかりがトイレと式場の往来を繰り返した。

なんとか2次会も終え、それから電車で石切という場所にある温泉ホテルへ。寮の卒業生ばかり、数十人で、宿泊も込みの3次会をしようとなっていた。3次会のメインは、大学時代に冬になると頻繁に行なっていた『下の句カルタ』。百人一首を読むものではあるのだけど、下の句を読んで、下の句の札を取るカルタで、そのうえ、札は木で出来ている。北海道ではメジャーなカルタで、1チーム3人編成で、3人対3人で行なうもの。それを毎年、冬に、寮全体で行なうのが行事の1つであり、なんやかんやと盛り上がる。久しぶりにやったカルタではあったけど、少しやれば身体も覚えているもので、いつの間にか夢中でやっていた。


10年ぶりくらいに会う寮の面々。大学を卒業してずいぶん経つ。もはや全員が30歳を超えている。懐かしい昔話もこういう時は良いなぁと思う。僕の入っていた寮は、特殊というか、本当に昔からある寮で、その当時も2人で1部屋を共有するタイプだった。一応、鍵はあったけど掛ける人等ほとんどおらず、寮生ならば誰もが気軽に各人の部屋に行けた。いつもどこかで酒を飲んでるヤツがいたし、ギターを弾いて唄っているやつもいた。

そんな寮も数年前に、立て替えられてしまったと聞く。
いわゆる1人、1部屋の寮になったとか。どこにでもある学生アパートと変わらない。
それはそれでプライベートもあるし、良いんだと思う。僕自身、寮に住んでいた頃、まったくプライベートな空間がないことが嫌だったこともある。ただ、それ以上に愉しいこともあった。おそらく、ああいう寮は全国にもごく僅かしかなく、その点で、そこで過ごした学生生活は他では得難いものであったと思う。


翌日の別れ際、「また、どこかで」と言葉を交わした。次はいつになるのか本当に判らない。それぞれ本当に別々の生活がある。ただ、漠然と、またどこかで会えば、この日と変わらず、酒を飲み、笑って、愉しい時間を過ごし、「じゃあそういうことで」と言葉を交わせると思う。

愉しく、幸福な一時。