東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『布団と風呂の葛藤』

小林信彦さんの小説『夢の街 その他の街』がすごく面白くて、それで流れで『私説東京繁盛記』を読む。小林信彦さんの文章に惹かれるのは、それが日本橋に生まれた作者の身体が触れた東京に触れることができるからだと思う。
『私説東京繁盛記』に載っている連載当時の写真は、昭和50年代のもの。会社で上司の人たちが、その本を見つけページをめくって見つけた渋谷の写真を見て、懐かしんでいた。その当時の渋谷の、センター街あたりはほとんど何もなかったのだという。本にもそのような事が書かれているのだけど、今となっては本当かよと思えてしまう。わずか30年の間にえらく変わってしまい、今はまた別の意味で停滞しているような気がする。

さらにその流れで、というわけではないのだけど、なんとなく久しぶりに田山花袋の「布団」を再読。改めて読んで、これもべらぼうに面白い。主人公の男の煩悶っぷりがちょっとすごいことになっている。教え子である若い娘の恋路に、なぜ俺ではねぇのだと思い悩み、路上で歩きながら絶叫して髪をむしったりする。髪を掻くくらいなら判るがまさかむしるとは。
髪をむしるかと思えば、そうやって苦悩する自分のことを振り返り、以下のような沁みる言葉が出現する。

悲しい、実に悲しい。この悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥に秘(ひそ)そんでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落、この自然の底に蟠れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚い情けないものはない。


そんなことを思いつつも、隙を見せると、彼はすぐにまた煩悶し、酔いつぶれてトイレで眠りについたりする。ままならさが、またよし。



ここにきて、娘が、風呂にいれると勢いよく泣く。それで、今一度嫁氏に指南を頼む。嫁氏が風呂にいれると泣かない。髪を洗うのも嫌がらない。それで再び、本日風呂に入れてみたのだけど、今日は髪を洗う前に泣き出し、湯船に入れても泣き、当然、髪を洗っても泣くという次第。
むしろ、今までで最悪の結果に。
娘が風呂嫌いにならないかと改めて不安になる。