東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『6ヶ月目に熟睡(俺が)』

12月7日にて、娘子は生後6ヶ月が経った。よく食べ、よく笑い、よく泣く。鏡に映る自分の姿を見るとニヤリと笑う。座らせると目先にある靴下をすぐにいじりだす。離乳食も好き嫌いなく食べる。人参も里芋も大根もペースト状にしたものを口に持っていくと「もっとくれ」と言わんばかりに食べる。日々成長。

一方で、また僕が風呂にいれると泣く様になってしまった。シャンプーをしようとすると、もう、ダメ。髪を濡らそうとするだけで泣く。これが嫁氏であると泣かない。なぜなのだろう。というわけで、最近はびびって風呂は嫁氏に任せっぱなし。

夜泣きはそれほどない。と、僕が言うと嫁氏は「なにを言ってやがる」と言いそうなのだけど。僕が目覚めるというところまで夜泣きでぐずる前に、嫁氏が寝かせているというのが実際だと思う。というのも、僕は一度寝るとめったなことでは起きない。夜に地震がたまにあるが、起きたことがない。危険な地震が来たら、僕は眠ったまま終わりを迎えるかもしれない。昨日、娘子がめずらしくぐずり、深夜3時くらいまでは僕もあやしていたのだけど、嫁氏が仕事のことも気をつかってくれて「先に寝なよ」と言ったことを鵜呑みにして爆睡してしまった。その際、僕の寝相が悪かったようで、嫁氏と娘子は別の布団で急遽寝ることにしたようで、朝、嫁氏は軽く不機嫌だった。僕はといえば、そういう時に限って、非常に嫌な夢を見ていて、しかも、それを覚えていて、それはどうやら大洪水があり氾濫している河岸にいる僕が、川を流れる家や車などを見ているというやつで、何かすごく嫌な気分になるものだったが、「寝て起きなくてごめん。そのうえ、嫌な夢を見たんだよ」と嫁氏に伝えたものの嫁氏は相手にしてくれなかった。


保坂和志さんのエッセイ『途方に暮れて、人生論』が近所の往来座で、驚きの100円で売っていて、これはもう買うだろうと購入。さっそく読んで、これはまいったと思ったのは、そこに書かれていることが、本当に僕がいつも思っていたこと二対する鮮やかな解答であって、逆にこれを読みすぎてしまうと、保坂さんの考え方に安心して乗っかりすぎてしまい、もう、なんかいろんなことを忘れて、これからは隠居したような形になって生きていこうかと、よく判らない考え方を持ってしまいそうな気さえする。安心し過ぎるのは、この歳では、まだいかん。