東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『日常という名の鏡』

天気はあまりよくなかったけど、買い物に出かけた。途中、道ばたで家常さんとばったり会う。仕事関係の人と一緒にいたので声をかけておしまい。家常さんは「松瀬くんです」と紹介していたが、先方は子連れで急に出現した人物などなんのことか判らなかったろう。


東急ハンズで買い物をしてから、外食。久しぶりに『びっくりドンキー』へ行く。大学時代は、ファミレスが『びっくりドンキー』しか近所になく、頻繁に行っていたが、こっちへ来てから近所に店がなくあまり行かなくなってしまった。少し値上がりした気がするがどうなのだろう。娘子はお子様ランチをがっつりと食べきっていた。それについていたコーンポタージュがやけにうまかったようで、夜御飯の時、いつも出すジュースを、コーンポタージュを飲んでいたようにスプーンですくいながら飲んでいた。


佐藤真さんの著書『日常という名の鏡 ドキュメンタリー映画の界隈』読了。自身の作品『阿賀に生きる』の製作ノートから、ドキュメンタリー映画論、そこから派生して写真や演劇に至るまで佐藤真さんの創作に関する様々な意見が書かれている。時に挑発的なまでの言葉も並ぶするどい批評。この本が出版されてからずいぶんと時間は経過していると思うけれど、まったく古びれておらず、むしろ今でも読むべき文章が並んでいる。また、『トウキョウ』という作品を作るための様々な考察も書かれてあり、佐藤さんが現代日本人の姿を描く為に、東京を描き、そこから『トウキョウ』を動画としてフィルムに映し出そうとしたことを初めて知った。本作は以下のような言葉で締めくくられる。

力ずくでつかむとポロポロと崩れ落ちてしまうもの。追えば追うほど、自分の影法師のように、実は後ろからついてくるもの。日々の暮らしの中では、当たり前すぎて口に出すのも憚られるようなもの。それが、トウキョウの正体なのかもしれない。
(中略)
私は映画『トウキョウ』で、その虚像とも実像ともつかないトウキョウの正体を見極めてみたいと思っている。

描こうとした『トウキョウ』の断片は、『阿賀に生きる』以後の佐藤さんの作品に観ることができるような気がするけれど、もはや完成品は観ることが出来ないと思うと本当に今更だけど残念でならない。


夜。少しばかり娘子の体温が高かったので、大事をとって風呂にはいれず寝かす。熟睡していたが、この日記を書いている途中で目が覚めて少し泣く。僕が抱っこしようとしてもダメで、嫁氏を呼び、嫁氏の胸の中でやっと落ち着いて眠り始めた。やはりこういう段では、まだまだ母親の方が頼りになる。


日常という名の鏡―ドキュメンタリー映画の界隈

日常という名の鏡―ドキュメンタリー映画の界隈