東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雪のように散る花に』

午後から天気が悪くなると天気予報で言っていたので、午前中に娘子と公園に行く。すでに桜の花はずいぶん散って緑の若葉が顔を出していた。


綿矢りささんの『かわいそうだね?』を読む。綿矢さんの本は初めて読んだ。大江健三郎賞を受賞された本だとのことで興味があって。とても表現が巧みなのだなぁと思い、ふとした言葉に、ただただ『うまさ』を感じつつ読んだ。


夕方。嫁氏が買い物にでかけると、またもや娘子が外へ出たがったので、また外へ。鬼子母神まで行き、隣の公園で遊ぶ。遊びにきた小学生の女の子が滑り台を駆け足で登るのを見てそれを真似する娘子。まだ早いだろうと思ったら、手すりを掴んで登りきる。頼もしい娘子だ。

そうやって遊んでいると、また別の小学生の女の子が一人遊びにきた。と、娘子に寄ってきて無言で何かを手渡す。見るとビーフジャーキー。理由は不明。なにせしゃべってくれないから。その子は、娘子だけでなく、滑り台駆け上がり少女にも無言でビーフジャーキーを提供していた。不思議な子だった。


駆け上がり少女とビーフジャーキー少女が帰った後、6時くらいになった。そろそろ帰ろうかという頃に、風が強くなってきた。空を見るともう曇り空。予報通り夜から雨になりそうだし、そうなるといよいよ桜の花も散るだろう。風が吹いた。桜の花が一斉に散る。娘子とそれを見る。花吹雪。まさにそんな具合で、曇り空で日も暮れかけた頃だから、花びらも色彩が薄い。本当の雪のように見える。それまで花吹雪に興味を示さなかった娘子が、散る花を追いかけて走る。それを眺める。風の音がよく聞こえる。木々が擦れる音。鳥の鳴く声。散った花びらが地面に落ちる音も耳をすませば聞こえてくる。散り際の音の世界。なんて贅沢な時間なのだろうと思った。


だから、余計に原発再開に踏み出した政府のやり方に閉口した。嫌になる強引さだ。北朝鮮からのミサイルのどさくさに紛れ、目を逸らす様に行われることの姑息さ。


季節感など関係なく、キセルのこのカバーを繰り返し聴いている。雪ではなく、桜の積もるこの頃に。