東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『滑稽という褒め言葉』

土曜。午後から仕事だったけど、その前に家の掃除など。


娘子は、なにかっちゃあ「ご褒美ちょうだい」とねだるようになっている。
ご飯食えば、「ご褒美ちょうだい」
掃除手伝えば「ご褒美ちょうだい」
買い物一緒にいきゃあ「ご褒美ちょうだい」
それで、「ダメ」というと泣く。涙は出ているが明らかにそれは、策略じみていて嘘泣きである。


娘子は別に法的な正しさなんて持ってない。自分に対して正直で、自分の欲求のためにあらゆる策を練る。だから泣くし、ダダをこねる。ただ、その一方で、例えば僕が横になっているととても小さなハンカチを広げてそれを僕にそっとかけてくれたりもする。そういった行動の一つ一つが僕にはとても新鮮。


マキタスポーツさんのコラムで「この世で俺/僕だけ」について触れてました


あるいは、この作品の監督である月川さんがツイートしていたマキタスポーツさんのこの作品に対する見解。「最初からボタンを掛け違えてるから、どこまでいっても滑稽」は本当に見事な指摘だと思いました。


確かに、登場人物の大半がズレているように思う。元々からズレているわけではなくて、それぞれの立場で生きていくうちに少しずつズレてきていて、今に至っているというような。マキタスポーツさんの言う「滑稽」は、そうであっても「嘲笑」を誘うわけではなくて、ズレてる中で必死に生きて、無様に見えても、もがいてもがいて、それでもやっぱり元々からしてズレているから、何しても噛み合ないその様が、「滑稽」としか形容できないということになってるんじゃないかと、個人的には思いたく。そういうアレで「滑稽」と評してくれているなら、それは本当に何よりの褒め言葉だと思うわけです。


人の生は、なんであれ「滑稽」なんだと思う。でも、それが良いのだと思うのです。その「滑稽」を僕は肯定したいです。


コラムの最後に書かれている「映画」については、企画の段階から確かに話にあがってました


僕自身、それほど詳しくは知らないですが、現状の邦画製作の流れとは異なる、映画製作への試みとして。それは、ある種の挑戦としてもあるのだと。


マキタスポーツさんの言う『後押し』とはまずは、この作品を見てもらうことでしかないわけで。


こっから、オンエアまでの間、この件に関する宣伝をしまくると思うのですが、ご容赦くださいませ。