東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『東京に戻って来た/授業をする』

嫁の実家で体調を崩して、しばらくゆっくりしていた娘子だったが、復調してきたとのことで、本日こっちへ戻って来た。仕事を早めに強引に終えて、上野駅で2人が来るのを待ったのだけど、降り損ねて東京駅へ行ってしまったとのことで、上野駅での待ち合わせは断念し、といって東京へ行くのもいろいろ面倒だと思い、池袋にて合流。


娘子が元気でほっとした。お腹が痛くて大変だったんだよ、と自分から報告してくれた。食事をしてもすぐにもどしてしまい、水すら飲めない時期もあり、きっと相当しんどかったのだろう。それは看病をした嫁や、実家の方々もだ。良かったのは、こうやって元気になってくれたことだ。この年齢で1時間ほどの点滴もがんばったというのだから、我が娘子ながら本当に立派だなと思う。


寝たきりの生活が続いたせいか、娘子はフラフラとしており、普通に歩いていてもたまによろけて地面に座り込んでしまう。まだ体力が戻って来てない。少しずつ、少しずつ回復してくれればいい。


で、仕事のことで一つ。月曜に、仕事がらみで急遽「映像演技」という授業を2時間行った。教えるなんてことを、これまでしたことがなくて戸惑ったが、とにかく『映像』の『演技』ということで、自分なりに思う『映像の演技』とは、ということを話す。それは、自分がこれまで経験してきた仕事の現場との関連もあるし、そればかりではなく自分が思う役者論に通じるところもあるけれど。レンズ越しで演じること。カメラの画角の中で役者がいること。フレームの中で切り取られること。まぁ、基本的なところで、イマジナリーラインとかについての説明など。ただ、イマジナリ−ラインだって単なる原則で、それをあえて超えるショットだってあるはずで、あくまで原則として説明したんだけど。そういうもんなのかもしれないが、授業に参加した人たちはイマジナリ−ラインを誰も知らなかった。他にも自分の持っている7Dを用いて、少しばかり台詞を読んで会話のやりとりを撮影してみたりもする。それも、演技の練習というよりも、映像として切り取られることへの自覚を持ってもらう体験として。


で、僕の話ばかりでも説得力がないだろうからと、映画も少しだけ観てもらう。小津安二郎監督の『東京物語』。標準レンズを使用し、小津調と呼ばれる低い固定カメラでとらえる画。そこで交わされる会話のショット。単なる穏やかな会話というだけではない、別の感覚で笠智衆さんと原節子さんの対話の、あの切り返しを観てもらえたらと思う。なぜ、あの切り返しが世界中で評価をされるのか。小津監督の切り取る画の中で、立っている俳優の演技。どのように観てもらえただろうか。


やはりというか、なるほどぉというか、『東京物語』を観たことがある人は誰もいなかった。でも、まぁ、僕だって初めて観たのは、確か大学を卒業して東京に戻ってからだったわけで、それって24とか25だったはずだ。まだ20前後であるならばまったく遅くはない。


2時間という時間は、話をしているとあっという間だった。果たしてどうだっただろうか。何か少しだけでも得るモノがあればと思うけれど。


それにしても、授業をするために、久しぶりに『東京物語』を見返した。DVDの盤面に1と36という数字があり、てっきり1時間36分の尺だと思って気楽な気持ちで観ていたのだけど、136分の勘違いだった。改めてそんなに尺があったのかと驚いた。まぁ、でも面白くて、全部観てしまったのだけど。やはり面白い。そういえば、先日、山田太一さん脚本の「ながらえば」がBSでやっていてそれも観たんだ。それも面白かった。ちょっとした笠智衆さん祭りだ。