東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雨降りのために』

仕事で電車移動をしていた時に、駅構内で注意書きがあり、それを見て少しばかり妙な気分になる。



別になんにも考えずに通り過ぎれば、気にもならないのかもしれないけれど、『雨降りの為に』と書かれると、なぜか雨降りがやけに敬われた存在のように思えて、むしろ雨降りに気を遣って足下に注意して歩けと言われているような気がする。

で、そのことをFacebookに載せたところ、その『雨降りの為に』をタイトルにした芝居の話を勝手に想像して、物語を書いて返事をくれた人がいた。この物語がとても良い。

「いやね、まだ雨漏りしてる」良子、鼻をすする「ほんと、ぼろ家だよな」忠士は鼻を鳴らすが口元に満足したような笑みが浮かぶのを隠しきれない。雨の音が止む。家族全員が上を見上げる。逝ってしまった静雄を見送るように。テーマソング。幕

それに触発されて、自分でも物語を想像してみる。それはこんな物語になった。

「ねぇ、 ちょっと」
「え?」
「ほら(雨漏りのしていた天井を指差して)」
「(見上げて)・・・ああ、(雨が)止んだのか」
「・・・止んだね」
「・・・」
「・・・ ねぇ、これ、きっと私たちが一番最初に気付いたよ」
「え?」
「雨、止んだの。だって雨漏りなんて、他の家ではしないでしょ?」
「どうだろ」
「うん、きっと、私たちが一番最初。世界で一番最初に雨が止んだことに気付いたよ」
朝子、そういって少しばかり得意そうにしている。
それを見ている雄一。
無音。
舞台、 ゆっくりと照明が落ちていく。
「明日、早起きして洗濯しよう。ずいぶんたまってたから。うんと洗濯して、うんと干すの。庭に全部干そう。きっと空が晴れているから、すぐに乾くわ。」
雄一は朝子の言葉を聞いているのか聞いていないのか、はっきりとしない。ぼんやりと中空を見ている。
舞台溶暗。 

別に全然これより前のことは考えてない。2人は何かをしゃべっていたかもしれないし、何か劇的なことがあったかもしれない。書いた僕ですらそれは知らない。言葉から連想して何かを書くということの面白さを感じる。


僕らは、これから小平と道路開発によって失われる風景を、ノスタルジックに語ることは許されない。なぜなら、これから行われることは、僕たちが選んだことだから。投票をしないも、それが一つの意見ではある。ただ、ただ、とてつもなく残念だ。


そんな日、僕は、大学の同期で、舞台を一緒に作った仲間Oが久しぶりに東京に来るということで、集まれるメンツで集まった。愉しい夕べ。最初はカラオケ屋に行った。僕の娘子と、後輩のお子さんもいた。カラオケは初めての娘子が、愉しそうに「何か歌ってー」と言う、そのリクエストに、Queenの『We Are The Champions』を唄うというなかなかな返しをするO。それもまた愉しい。

時間が経っているのだなと、改めて実感する。互いにそれぞれの時間を過ごしている。悦びの時間はあっと言う間に過ぎる。「じゃあ、また」と簡単に言い合えることの幸福がある。次に会えるのがいつか分からないが、それでも惜しむ必要はない。