東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『娘の冒険』

tokyomoon2014-11-03

1日に僕の実家に宿泊し、翌日は午前中から千葉県野田市にある清水公園に向かった。小学校の頃に何回か行ったことがある公園。アスレチックの遊具が豊富で子供の頃は夢中で遊んだ。当時、僕の家には車が無く、自転車で行っていたのだけど今は車で向かう。実家が千葉との県境付近ということもあり、越境するものの清水公園までは車で数十分。近い。


1日が雨だったこともあり、2日の朝の段階ではアスレチック施設は中止ということになっていたので花がたくさん咲いている『花ファンタジア』という清水公園内の別の施設へ行く。かつて自分が子供の頃にそういうところがあったかどうか覚えていない。嫁も娘も花を見るのが好きなのでそれはそれで愉しく周る。冬に咲く寒桜が咲いていて、それがよかった。そして、花とは関係なく、スノードームを作る講習会もやっており、娘がそれをやりたがったので参加。ビー玉などを駆使していろいろ愉しく作っていた。終わった後に、従業員の方から写真を撮られており、ブログに掲載していいですかと聞かれる。というわけでは、清水公園のブログに引きつった笑顔の娘の写真が載ることになった。『花ファンタジア』をまわったあと、アスレチックの施設の敷地へ移動すると、中止ではなく子供たちがガンガン、アスレチックをやっていた。娘もやりたがったけれど、着替えも持って来てなかったし、まだちょっと早すぎる気もしたので、ボートやさらに近隣にある巨大迷路などで遊ばせる。さらにポニーに乗れる施設もあったのだけど、そこで娘がポニーに乗りたいとやけに興奮気味にせがんできた。実際に乗ると怖がるかと思ったのだけどそんなこともなく楽しそうに馬上ではしゃいでいた。そして他にも山羊やうさぎと楽しく戯れていた。山羊は反芻する姿がなんというか長閑で良い。


というわけで、わりと1日がかりで遊んだ。この日のうちに雑司ヶ谷に帰る予定だったのだけど、日が暮れてしまった。それで娘にも急いで帰ろうと言ったのだけど、娘は帰りたくないと言い始めた。僕はともかく、嫁が仕事の都合もあり、結論としては、僕と娘はもう1泊し、嫁だけ雑司ヶ谷へ帰ることに。僕は仕事などがあり先に東京へ戻り、嫁と娘だけが嫁の実家の山形や、僕の実家で生活したりすることはこれまでもたくさんあったけれど、僕と娘だけで嫁から離れて泊まりがけで1日を過ごすということは無い経験。最初はそれも気にせずに愉しんでいた娘。で、嫁を駅まで送ることになった。20時半頃だったので、娘はもう寝かそうかとも思ったのだけど、お母さんを見送るときかないので、車で同行にすることに。実家付近の最寄り駅は別であるのだけど、荷物も多かったので乗り換え無しで移動できる『三ノ輪橋』駅まで送ることにした。車中で娘は眠ってしまったけれど、寝る間際に、「駅に着いたら起してね」と言っていたので、駅に着いて声をかけてみると、眠い目をこすりながら「起きる」と自分から言い出した。車中でいいよと嫁がいうけれど、車から出ると硬い決意を見せる娘。嫁が電車に乗り込んで、まだ出発まで5分ほどかかるというので、その嫁をおいて僕らが先にでることにした。まさに母親と離れることを体感した娘は今にも泣き出しそうなのをグッと堪えていた。帰りの車中、無口になってぼんやりとしていたようだったけど、娘は眠らずにただ、静かにしていた。帰ってからは眠るまで一緒にいた。で、そのまま僕も一緒に眠ってしまった。


翌朝。起きて開口一番、「早くおかーのところに行こう」と言ったけれど、朝ご飯を食べたら少し落ち着いた様子で、実家にあるおもちゃで遊び始め、実家の近所にある児童館でも遊びだした。プラネタリウムを見る。それから実家を後にして帰路へ。


帰り際は、実家から離れることや、祖父や祖母と会えなくなることを「寂しい」としきりに言う。そもそも前日の夜に帰らないと言い出したのも「寂しい」が理由だったし、娘にとっては誰かとの別れというものがとても寂しいものなんだろうと思う。そんな中で、母親と1日とはいえ離ればなれになったことを経験した今回の時間は、それもまた大きなものだったのではないか。


帰りの電車内。疲れた娘は僕の膝の上でよく寝ていた。この3日間は結果的に出掛けなければならないような仕事も無かったのでずっと娘といることが出来た。日々を楽しく、笑ったり唄ったり、泣いたり悲しんだりしている娘と接していることは、本当に面白い。