東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『阿修羅ガール』

tokyomoon2016-01-22

大雪が降った後、すぐに晴れてあっという間に雪はなくなっていったけど、日陰にはまだ溶けきらない雪が残っている。娘を幼稚園に送るとき、残っている雪を見つけることが娘にとって確認事項みたいなことになっていて、「まだ雪がある」と雪を見つけては言う。


先日、家常さんと話をした時、「悪」についての話になった。大袈裟な話ではなく、例えば仕事のプレゼンでこちらが勝つと、負けた側からすればこちらは「悪」であるともいえる、というような。「悪」は強いと家常さんは言っていた。


たまたま少し前に、舞城王太郎さんの『阿修羅ガール』を読んでおり、読み終わって、いろいろと思ったことは、「悪」とか「正義」というのはその都度、様々な見方で変わるもので、絶対のものではないということだろうか。


ここ最近、芸能関連で2つほど、ワイドショーを賑やかす話題があり、ここぞとばかりに報道がされている。それもどちらの立場にたって見るかでずいぶん違う見解になる。


なんにせよ、「悪」というか、「強者」が大手を振るう雰囲気になっている。「弱いものいじめ」だ。そしてそれを見ている第三者は余所者の意識で、それらを傍観する、という構図になっている。自分の立ち位置も含めて、そういう雰囲気がなんとも嫌だなと思う。


阿修羅ガールは本当に面白かった。その一文をメモとして書き留めておく。主人公の言葉。

『私もヒトだから、内側にたくさんの人格があって、いろんな声があって、それらが様々な音を立てている。それらを全て支配しているあの怪物はつまり、私自身だ。あの姿、あの形、あれはつまり、私の人格とか自己像とか、そういうものとは関係ない、もっと奥深くの、真ん中の、芯とか核とかそういうものなんだろう。』


怪物とは生死の境を彷徨った主人公が見た夢に出てくる存在で、子供達を生きたまま切り刻み、バラバラにしたパーツをたくさんくっつけて存在する生き物のこと。その怪物の存在そのものにとてつもない恐怖を感じつつも、それは自分の中に存在するものなのだと、主人公自身が悟る時の言葉。


自分にもそういう部分があることに悟れることが何よりなのだと思う。


明日は猛烈な寒波がくるらしい