東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『祭りがあったこと』

tokyomoon2016-09-15

台風がたくさんやってきてかつて住んでいた北海道の十勝にも被害があり、それが気がかり。東京も天気が良いような悪いようなはっきりとしない日々が続く。


そんな最中、地元の神社で祭禮があり、子供神輿の行列に娘が参加。娘は毎年出ているのだけど、僕は仕事で参加できておらず今年初めての参加。神輿と太鼓が乗った山車があり、大きい子たちは神輿を担ぎ、小さい子達は山車を引く。子供たちは楽しそうに声を出していた。ところどころに休憩ポイントがあり、そこに着くとジュースやお菓子、アイスが配られ子供達は嬉々としてそれに群がる。自分の時もそうだけど、こういう行事の楽しさはやたらとお菓子がもらえたことだと思う。そして大人もそれにあやかりビールなどをもらえる。昼間からビールをいただく有り難さ。「若いの、酒飲むか?」と町会のお偉いさまに声をかけられ、ビールのつもりで、はい、と答えると日本酒の瓶を開け始めたので慌てて断る。夜に仕事もあったからだけど、それよりもなにより日本酒を昼から飲んだら目が回ってしまう。「なんだいなんだい」とそのお偉いさまは笑っていた。


祭禮と合わせて、地元の商店街でもお祭りがあり、屋台が出たり、飴細工の職人さんが飴を作ってくれたり、フリーマーケットがあったり、昔ながらの紙芝居屋さんがいたりする。商店街の各店の軒先にスタンプが置かれ、スタンプラリーも行われていた。娘はそのスタンプを楽しそうにやっている。実のところ、僕は子供の頃からこのスタンプラリーというものをやったことがなく(すくなくともやったことを覚えてない)、この楽しさがよくわからない。決まった場所にあるスタンプを見つけて押していくことの何が面白いのかなぁと思うのだけど、娘はスタンプを押すこと自体が楽しいようで、それはそれで良いのだろう。


紙芝居屋さんの紙芝居は、かつてそれが当然のようにあったころの実際の紙芝居らしく、絵もどこか時代を感じさせる。話が途中から始まり、途中で終わり「この続きはまた次回ー」と紙芝居のお店の人が言う。今回は祭りの実行委員会の方から依頼をされて来た方が報酬を事前にもらってやっているのだろうけれど、実際にこういう屋台で稼いでいた人たちは、紙芝居に集まる子供たちから如何に駄菓子代を取るかを工夫し、話芸を披露しつつ、「次回ー」という言葉で子供達の期待を高め、代わりに駄菓子や謎のちゃちいオモチャを買わせたのだろう。子供達は物語など理解しているかしていないのかわからないけれど、紙芝居をジッとみて、ただ目の前で行われている小さい興行を楽しんでいる。僕が子供のころにもすでに紙芝居屋台は存在しなかった。ノスタルジーというと違うような気がする。紙芝居にしても、屋台にしても、どこから来てどこへ行くのかわからない怪しいおじさんやおばさんとのやり取りの中に、普段は体験しないようなどこか怪しい享楽があり、それが愉しいのだと思う。だからこういう祭りは多少怪しいくらいがいいし、猥雑くらいでもちょうどいいのかもしれない。


一昨日。とあることで嫁と口論。それ自体はよく起こってしまうことで仕方がないかと思ったけど、翌朝、娘がその空気を察して心配そうな表情を見せており、こういうことに子供はなんて敏感なんだろうと思う。そうさせてしまうことに対して反省しつつ、いまだになかなか親としても成長できてないことを実感する。


季節は秋に近づいているけど、まだまだなんだか蒸し暑い。