東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『熊本は暑かった』

tokyomoon2017-04-21

娘の体調は回復し、月曜から学校に元気に通っている。通学する時間が幼稚園の時よりも1時間早くなり、迂闊に寝過ごしているとすでに娘がでかけた後、ということもある。ここ最近は娘に起こされる形で一緒に朝ごはんを食べたりする次第。幼稚園の頃よりも1時間くらい早くなり、単純に、眠い。学校で友達もたくさんできた様子で楽しそうでよかった。


僕は先週の日曜に仕事の用で熊本へ行っていた。久しぶりに羽田空港へ行く。飛行機は新幹線と違い、出発までの手続きが不安でつい早く行き過ぎてしまう。家からは乗り換えが多く微妙に出にくいのも理由なのだけど。


熊本まで飛行機で1時間半もかからない。おまけに乗った航空会社がフリーWi-Fiにつなげたので飛行中もずっと作業しているとあっという間に着いてしまった。


僕の両親の実家は佐賀と鹿児島だったので、小学生の夏休みは九州に帰省していたのだけど、親が飛行機が苦手でいつも新幹線で移動していた。博多まで5時間。それから特急に乗り換えて佐賀や鹿児島へ。田舎の方だったので乗り換えも多く、移動だけでクタクタになった記憶しかなく、九州というと漠然と遠いイメージしかなかったのだけど、近かった。


その日の熊本は暑かった。とりわけその日は異常だったようで、半袖でも汗ばむくらいの初夏みたいな暑さで、空港から外へ出ただけで熱気を感じた。飛行場からのどかな風景を眺めながら30分ほど走ると市内へ。市電が走る風景は東京とは違う。その日はすぐに仕事で、夕方過ぎまでバタバタしていた。市内に大きなデパートがあり、地元の人の話では「熊本といえばこのデパート」だ、という。そういうお店やデパートはどの都市にもある。夕方に1番賑やかだというアーケードを少し歩いた。メインとなる通りはどこにでもあるチェーン店やいろいろな店が並び、路地に行くと居酒屋や歓楽街がある。こういう場所は地方都市、というか東京以外の街には多く見られる。繁華街はある意味でかたまっていて、そこに人が集まってくる。ホテルに戻ると、ロビーに復興支援という形で一部屋一本、地元で作られた缶ビールをもらえた。見たことがない缶ビールだったので嫁にお土産にすることに。


翌朝、あいにくの雨。とはいえ蒸し蒸しとして、上着を着ると暑い。が、脱ぐと雨だし肌寒い。少し時間に余裕があったので、熊本城へ行ってみようと調べると思いの外、宿泊していた場所から近かった。繁華街だった場所は城のお膝元で、つまりきっとここは、もう城が建った当時からそういう土地だったのだろうと思われる。熊本城は震災の影響で石垣が崩れ落ちていたりして、敷地内には入れなかったので、周りから見上げる形。海外からの観光客も多い印象。あまり城を見る趣味はないのだけど、城を工場の重機が取り囲んでいるようにある光景は新鮮だった。


僕が訪れた時は震災から一年ほど経ったころ。街中は生活が元に戻りつつある印象だったけど、城の周りはずいぶんと地震の影響が感じられた。今だに仮設で暮らす方々もいて決して震災は終わってないことは僕みたいに少しいただけでも話として聞こえてくる。


雨が降る中、市電に少し乗って少しでかける。市電の中で小銭がないと大きな声で言う老人がいた。その人の友人も一緒に乗っていたようで、2人で大きな声で話をしている。その言葉のイントネーションはかつて子供の頃に親族たちがしゃべっていた響きに似ていて、なんというか九州の語気の強さがある。とあるバスの停留所で小銭もなんとか両替すると、両替した老人が2人ぶんの運賃を支払い降りていった。僕もそれから少しすぎた停留所で降りて、それからバスで熊本空港へ。風や雨の影響で飛行機は少し遅れていた。