東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2020年が始まる』

年末から年明けにかけて、仕事があり、車で都内を走っていた。深夜帯でもぽつぽつと人の姿はみた。実はあまり知らなかったのだけど、終夜運転というのをやっているらしく、職場の最寄り駅から朝の3時過ぎに電車で帰宅。が、思いのほか人がいて驚いた。明治神宮前の最寄り駅で人がばらばらと乗ってきたが、あれは明治神宮に参拝した方々だったのだろう。さすがに日中の暖かさはなかったけれど、それでもそこまで寒くはなく、最寄り駅に降りてから、どうせついでだと地元の神社へ。さすがに明け方近くだったので、人はいなく、あっさりお参りをして、嫁さんから買っておけと指示を受けた御朱印のある紙を購入。売り子さんも明け方まで仕事で大変だと思った。買っている途中で、若い男女4人が現れてわいわいと境内に入ってきた。この時間までどこにいて、これからどこへ行くのだろう。家について猫たちを一通り撫でてトイレをきれいにして、それからテレビを観て、6時過ぎにうとうとと眠りについた。

翌朝、といっても昼過ぎくらいに目覚め、ぼんやりしてから、池袋まで出る。池袋に人は意外といるもので、混雑している。デパートも開いているわけだから店員さんも楽じゃない。JR埼京線に乗る。埼京線は高台を走り、午後から夕方にかけて西日が気持ち良い。好きな眺め。それから武蔵浦和武蔵野線に乗り換えて、実家へ。地元の駅はなんだか寂れており、大通りに面した建物も空き店舗が目立つ。そして、そういう寂れた場所ほど、コンビニとかもつぶれてしまう。駅前にあったセブンイレブンがなくなっていたのでびっくりした。国道を渡って家の方面へ歩く。徒歩10分強くらいなので、歩いていくのもさほど苦ではない。小学生のころ、野球をしていた空き地は、開発と住宅が建てられてしまい、敷地が半分くらいになってしまったけれどまだ残っており、そこで今も野球をしている子供たちがいる。改めて地元に戻ると、電信柱の他に鉄塔が町を横断していることを思い出す。かつては田んぼが多くて、正月はその田んぼで凧揚げをしていた。その凧のはるか上空を鉄塔の電線が走っていた。家の近くに着くころに17時になり、子供達に帰宅を促す町内放送が流れる。これが僕が子供の頃と変わらないから驚く。

実家に戻ると、父と母も元気で、ポツポツと近況を話したりする。僕が住んでいる町のことは「いい街だ」と言ってくれる。家を購入する時、ひとまずの資金を出してくれたのは父と母だ。そのおかげで僕は今、暮らせている。駅前は少し寂れてしまっていたけど、家の周りは徐々に住宅が増えているという状況。ますます田んぼがなくなっている。夏はカエルの合唱がうるさいくらいだったけど、もう聞こえないのだろうなぁと思う。今年は兄夫婦も来れず、うちも僕だけだから静かな正月。夜ご飯はスキヤキ。肉などをたらふく食べる。父は口を開くと「生活は大丈夫か」と聞いてくるし、母は心配ばかりする。寒いから暖房をつけて寝るように。だけど、寝る前にちゃんと暖房は消すのよ、と子供みたいなことを言ってくる。春には41歳になるのだけれども、これまで心配をかけすぎて、気にされるのだろう。

翌朝。目が覚めたら10時で、だいぶ寝ていた。「起こそうと思ったけどね」と母が言う。父は何度も「起こして来いよ」と母に言ったらしいが、母はのらりくらりとそれをかわし、結果的に僕が起きるまで二人はテレビを観ながらぼんやりとしていたことになる。箱根駅伝が流れている。それからなんとなく、また世間話などをする。たわいもない話。なんでもない話。で、なんの拍子か、僕が歳を重ねて父親に似てきたという話になったとき、そのことを僕が父に言ったら、父が「お前なんかよりまだまだ良い男だよ」と言ってきた。父は自治会の会長のようなポジションをやることになるらしい。今度、成人式に自治会の代表として参加をするらしい。「忙しいのよ、お父さん」と母がなにやら嬉しそうにいう。白内障を患って車の運転もままならなくなった父だが、まだまだ健康で、二人とも元気だった。元来、冗談を言う父ではないので「良い男」発言は本気だと思う。それはそれでいいなぁと思う。それから昼ご飯を食べてから、家を出た。「じゃあ、また」と父に言い、父は「ああ」と言いつつも椅子からは立ち上がらず、テレビを観ている。普段と変わらない。母は玄関の外に出てきて、通りに出て見えなくなるまで見送ってくれる。それもまた普段と変わらない。地元の駅までまたふらふらと歩き、行きにきたJRではなく、私鉄から地下鉄に乗り、三ノ輪まで出てから都電に乗るルートで帰ることにした。都電は、驚くほどの混み方をしていて結局、地元の駅までずっと立ったままだった。都電を降りるころには陽も傾いていて、家の前まで戻ってくると、夕日が眩しかった。

父と母が、僕たちが住む町を良い町だと言ってくれる。静かで高台で。僕たちの家は坂の途中にある。日があたり、気持ち良い。窓を開けると夕日が見えるのが好きだ。家の前の通りに出たとき、本当に夕日が坂道のまっすぐ向こう側に見えて、言葉もないほどきれいだった。僕にとって、育った町は確かに埼玉だけど、今は、ここで暮らしていて、僕たちにとってはここが生活する場所になっている。とても素敵な夕日が見える町。「帰ってきた」と思える安心感がある。