東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2月中旬』

tokyomoon2018-02-15

だいぶ日記が滞る。1月下旬から2月の頭にかけて早朝からの仕事が立て続き、単純に睡魔に勝てなかった。いや、睡魔というか、朝、起きれないことがマズイという強迫観念。まだ陽も昇らないうちから起き出して、朝の寒さに苦しみながらも、澄んだ空気の中で日が昇っていく朝日を見るのは毎回楽しく、早起きは早起きで悪くない気はする。


とはいえ、夜。夜更かしではないけれど、会社から帰って少しくつろいでいると、あっという間に深夜1時を過ぎてくるので、そうなると睡眠時間がやはり減る。さすがに体力がもたない。



そんな最中、1月末に、大阪から友人のYしゃんが仕事で来ていたので夜に会った。僕の提案(というかお願い)でスーパー銭湯に行き、風呂に浸かりながらゆっくり話す。お互い忙しいことは良いことながら、日々の仕事をこなすばかりの生活になりつつあることを話したり。



Yしゃん曰く、形に残るなにかを成したいという。振り返ると、僕らが学生の頃はまだ携帯も動画サイトも普及しておらず、その当時に作ったアレコレは画質が荒いVHSレベルのビデオに録画してあるくらいで他には記録も何もない。僕にしてみれば、大学当時、戯曲を書いて舞台をいくつか上演したものの、その台本もどこへ行ってしまったから曖昧だし、Yしゃんらとやったラジオなどは記録さえもない。



あの当時、「こういうことが面白いんじゃないか」と考えたことを、今ではだいぶ手軽に出来て、その上、記録にも残せる。かつてのことをもう一度、ではなく、今だからこそ、できる面白いことがあるんじゃないか、と話す。そういうことが出来ればたしかに面白い。



昔からの友人と話すとき、だいたい話に上がるのは疎遠になってしまったかつての友人たちのこと。喧嘩別れしたということでもなく、ただ、なんとなく連絡を取り合わなくなり、時間が経過していく中で、それぞれの日常が忙しくなって、新しいコミュニティがでたりして、なんとなく連絡することもはばかられてくいき、ずるずると今に至る。いや、もしかすると連絡が取れない気まずさがどこかにあるのかもしれない。気づかぬうちにわだかまりが生じていたのかもしれない。それは仕方がないと思いつつ、いつかふと「よう元気?」となんてこともない感じで再会できたら良いなぁと思う。



つまりはお互い元気でいてれば、どこかでまた会える、という。




そんなこんなで2月も半ばにさしかかる。いつから切れてないのかもはや忘れたのだけど、いい加減、髪が伸び過ぎていかんともしがたい。髪を切りたい。