東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『港町』

tokyomoon2018-04-13

この前の日曜日。ゆっくりと休めたので、午前中は掃除をして布団を干す。晴れてとても気持ち良い。


少し余裕があったので、映画でも観ようといくつか映画館を検索。シアターイメージフォーラムで、ソクーロフの特集がやっていたので、それを観ようかと思ったが、気になるキービジュアルのポスターを見つける。想田和弘監督の『港町』。それで、この作品を観ようと出かける。ひさしぶりのイメージフォーラム


想田和弘監督『港町』。とても良かった。小さな映画館だけど、至る所で笑い声が響いた。狙ったような笑いではなく、人の持つ不思議な魅力を目の当たりにして、つい微笑んでしまう。暖かい作品だからこそ、映画館が暖かい雰囲気になったような気になる。


冒頭の、小さな船で漁に出るシーンのエンジン音の響きが、作品の始まりを告げる音のように鳴り響き、そこに挿入される年老いた男性の目や表情、手のアップや網や空、波などの実景。それらの画の連なりが、まさしく『映画』を感じさせる。だからこそ観察『映画』と呼ぶのだと実感。


パンフレットに寄稿された平田オリザさんの言葉を引用するなら、映画の中で展開される前近代的なコミュニケーションのやりとりとしての物を買う、売るという『市場』の行為の中に、単にAmazonでクリック1つで商品を買う手軽さや便利さとは異なり、マニュアルの軽トラを軽快に乗り回す自称後期高齢者の老婆が朝、市場で仕入れた魚を運び、家々を訪ねて販売し談笑しながら売り買いをしたり、病院帰りの老婆の荷物を持ってあげようかと気にしてあげるという、人が介在するからこそ生じる『愛おしい時間』のようなものが存在する。だからこそ縁もゆかりもない港町の人々の断片を切り取った風景なのに、ノスタルジー以上の感情が湧き上がってくるのだなぁと思う。


正確にいえば、牛窓には、かつて岡山に住んでいた友人と一度だけ一緒にでかけたことがあり、まったく無縁ではない


人と、猫と、そこにある暖かい雰囲気と、しかしそれだけではなく、こういう町が高齢化などの理由によってやがて消えていく運命にあるという示唆と、そこに生きる人々もやがて死んでいくというどうしよもない時間の過ぎていく現実も切り取っていて、何度も観たいと思う反面、その度にヘトヘトに疲れてしまう作品だとも思えた。


たまたま、鑑賞した回が想田和弘監督の登壇のあった回で、アフタートークを聴けたのも貴重だった。撮影時に何か意図してカメラを向けず、ただ、被写体を無心で追う。その撮影した素材を、観る人が、その場にいた自分が感じたことと同じようなことを追体験できるように翻訳する作業が編集だ、という意見も納得。サイン欲しさに、久しぶりに映画館でパンフレットを買った。猫のイラストが可愛いサインだった。


映画館を出たのは16時手前で、まだ日差しも暖かい。渋谷は人でごった返していた。習い事を終えた娘と嫁と合流して、もんじゃ焼きを食べる。「もんじゃ焼きならいくらでも食べれる」と娘は豪語し、確かにガツガツと食べていた。鉄板に手をつけてしまい水ぶくれができて半泣きになっていた。


家に帰ってから、娘と風呂に入り、布団へ。「なぜ、夜は怖いの?」と娘が聞いてくる。「真っ暗になるしね」と答えるが、それが正解なのかもよくわからない。気がつくと、僕も一緒に寝てしまっていた。