東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『先週と今週と』

tokyomoon2018-06-22

いろいろとあり、日記に記しておきたいことは多いのに、ぼんやりしてたりまとめられずにズルズルと過ごしてしまっている。

仕事先の人から、小演劇界隈について少し話を聞いて自分なりに考えたことがあるのだけど、それもきちんとまとめきれぬまま。

KAATで地点の『山山』を観たのも先週で、だいぶ久しぶりに地点を観劇できたのも良かったけどアフタートークで三浦基さんの話を聞いたことも刺激的だった。戯曲『山山』から登場人物たちのイメージをナマハゲ(つまり鬼)にしたことの意図として、ナマハゲを取材に行った時、「怖がる/怖がらせる」だけではなく、鬼が鬼を演じ、父親が父親を演じ、母親が母親を演じ、ある種の形式的な段取りを共同体全体で演じることが「ナマハゲ」の儀式であると考えて作品のモチーフにされていた。それにしても、傾斜のきつい斜面の舞台上を動き回る役者の方々は相当ハードだったと思う。

そして、仕事で新潟へ行っていたのも先週末。曇り空が続いていたのに、長いトンネルを抜けて新潟に入った矢先に、青い空と緑の水田が広がった時は、ほんとうに爽快な気分になった。気持ちいい天気の中、仕事をして日帰りで帰ると、群馬付近で起きた地震の影響で新幹線が動かず、帰るのに苦戦した。


その翌日には大阪や京都でも地震が起き、交通機関が一時的に止まり、断水もした地域もあったという。話をチラチラ聞くだけでもとんでもない状況だなぁと想像するが、目の前には当たり前のように仕事が積み上げられていて、それはそれで呆然とする。そんな最中、昨日は、とあることで嫁と朝から口論。うーん。


夜。20時から恵比寿ガーデンシネマで、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』がやっていることを知り、観に行く。恵比寿ガーデンシネマに行くのはいつ以来だろう。館内の作りはそこまで変わってないようにも思う。


映画の最初に、だいぶ痩せてウエストが細いダニエル・デイ=ルイスがズボンを履くシーンがあるけれど、そんなガリガリの主人公なのに驚くほど旺盛な食欲を見せる。一目惚れ(と言うしかない)した田舎の料理屋の店員であるアルマを口説く時、アホほど注文をするという行為は目を引くためのネタかと思ったら、どうやらほんとに食べるためのものだったし、劇中ところどころで「空腹である」という言葉を漏らすあたり、食(そして味)に対する欲は半端ない。そして一方のアルマも最初に出会いでデートに誘われたとき、メモ書きを渡すのだが、そこに書かれていたのは電話番号ではなく、「食いしん坊さん」的なコメントで、おそらく30ほど年の離れた強面のおじさんに対してその物言いは大丈夫なのかとおもったら、それをもらったダニエル・デイ=ルイスはむしろにやにやとして食事を始めるわけで、そのあたりにもはや二人の関係性は決定づけられてたようにも思われた。良い出会いをした二人だったけど、実はダニエル・デイ=ルイスは仕事にしか興味がなく、自分のペースを乱されることを露骨に態度で表す自己中ではあるが、仕立て屋としての仕事への向き合いかたは流石に見事で、マザコン(で、おそらくシスコンでもある)を威風堂々と公言するのに、なんだか渋い中年であり、そこはもうダニエル・デイ=ルイスの説得力としか言いようがない。マザコンかつ職人というポテンシャルの老人に対して、アルマは、仕立てを依頼してくる王家の女性に対して、「わたしはここに住んでいる」と突如アピールするほどにほどよくフラストレーションをためていたところに、それ絶対やめた方がいいというサプライズをダニエル・デイ=ルイスにしかけ案の定、しくじると、激怒してまさかの毒キノコ攻撃をしかけるという事態へ。そこからの急展開というか、「あ!おれ、やっぱりマザコン!甘えれる女性最高!」と、「あ!わたし、この人のことずっとめんどうみたい!瀕死でいてくれたらずっと看病できるのに!そうだ!毒キノコいれよう!」的な発見を双方にした結果、互いに確信犯的にそれを受け入れるという結末へ至るのだけど、40歳ほどの年齢差での母子的な愛を見出す結末。至福の表情で膝枕をされる齢60を超え、この作品でもって引退するアカデミー男優賞受賞者と、それを受け入れる不器用で、朝食の食べ方が実に下品で、だけどまっすぐに母性的な愛情を注ごうとする女優の演じる愛の形なのだなぁとのみこむ。クライマックスとなる食事のシーン、嫌いだと公言するバターをこれみよがしにいれた毒キノコオムレツを出すアルマと、それを食べる男のやりとりを見て、この作品は「男をつかまえるなら、胃袋を(で)掴め」を地でいった作品なのだなぁと一人思いました。

今日も良い天気。蒸し暑い季節に。