東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『台風と地震とそこから遠い日常』

tokyomoon2018-09-08

あれほど暑かった夏だったけど、8月が終わって9月に入ったと同時に過ごしやすくなり、日中は暑いなぁと思うものの、風は心地良く、夜になると過ごしやすくなってきた。とはいえ、まだ半袖じゃないと暑くて仕方がない。


関西や四国に台風が直撃して大丈夫かと久しぶりに関西在住の友人たちに連絡すると、やはり凄い雨風だったということを言っていて、場所によっては信号機が倒れてしまったりと、まだこれから復旧に時間がかかるだろうということを教えてくれた。その矢先に北海道で震度7。すでに10年以上落ち着いて行けてないけれど、とはいえ数年暮らしたことのある土地で、友人や知り合いも多くいる。こういう時、Facebookなどは有難いなぁと思いつつ、そうやって安否を確認したり、テレビで倒壊した家屋や雪崩のように木々が民家を飲み込み、山肌が露わになっている茶色の山々のような驚くような光景を見ることが、電気も水道もガスも問題なく使える東京にいるとどうしたって他人事のようでなんとも言えない気持ちになる。そして仕事は相変わらず忙しい。普段の生活が出来る人は、普段の生活をするべきなのだと思い、仕事をする。

北海道に住む友人が、震災に関するレポートのようなブログをあげていて、それを見ると、スーパーやコンビニからは飲食物が消えたが、綺麗に即席麺だけは残っていたという。電気、ガス、水道が使えない中でそれが食べれないからということなのだろうけど、なんというか、そういう話を聞くだけで、よくわからない何か軽いんだけど、それがどんどん積み上がると気がついたらとても重くなるなにかが自分の肩に乗っかってくるような感覚になる。余震が続く中で、電気もつけることができず、1番役に立つのは電池式のラジオで、それで情報を収集しながらも、暗い中で家族でたくさん話をしたという、そう書かれたブログを読んで、少し救われた気持ちになる。


大阪に住む知り合いによると、電化されたあらゆるものが機能しないので、駐車場にいれた車さえ出せず、高層マンションに暮らす人たちはエレベーターを使えず苦労してるという。電化された暮らしは便利だけど、そのあまりの脆さに呆然としつつも、それに背骨を預けて暮らしていかねばならない都市の暮らし。天然のプラネタリウムの中で、家族で話をしたという北海道の友人の言葉は、震災の中で本当に一瞬見いだせた幸福で、それが延々と続くことはやはり大変だろうし、夜、まっくらなのはきっと怖い。夜の灯りにホッとすることはある。とはいえ、都市を肯定するでもなく、ただ、その脆さも自覚しつつ。


話がいろいろ脱線しているような気がする。何か災害が起きるたびに流布されるとんでもないデマのニュース、電気が来ないこととで搾乳した乳を廃棄しなければならない酪農家のニュース。山崩れによって家族を失った18歳の青年を必用にカメラで追うマスコミの姿。いろいろなことが塵も積もれば山となるが如くのしかかってきて、なんだか身体が重い。


家では録画した『ゴリパラ見聞録』しか見てない。恥ずかしい話、関西の台風被害も翌朝、職場で「関空が大変だよね」と言われて、慌ててニュースを見た次第で、家では『ゴリパラ』ばかり観ていた。もしくは映画だけど、疲れている時の自分の定番といえば、『宇宙戦争』の冒頭30分と『ワールド・ウォー・Z』の冒頭30分を観てスカッとするだったのだけど、この前、何を観ようかと映画を探していてなぜか『ハクソーリッジ』を手に取り、熾烈を極めた沖縄戦の映像を垂れ流すように観ていた。疲れてるのかなぁと思う。確かに仕事がいろいろあり、目まぐるしい。


家に帰ると、娘の書置きがあり「明日の朝、おとーと風呂に入るから6時に必ず起きるように」と書いてあった。早いよ、娘。しかし、起きたけどね、父は。まぁ6時半くらいでしたけど。というわけで、今日も空が青い。