東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『3月が終わり、4月が始まる』

3月も終わり、4月へ。雨が降るとまだまだ肌寒い日々。

 

土曜は日中が空いていたので、近所の境内の桜を娘と見に行く。曇り空が残念だったけど桜が綺麗だった。「落ちてくる花びらを掴むと、1年間の間で願い事が叶うよ」と娘が言うので、2人で花びらを取るため桜の木を見上げる。ひらひらと落ちてくる花びらをなんとか捕まえようとする。娘の願いは『猫を100匹飼う』だった。叶うにこしたことはないが、そうすると家の中がだいぶ賑やかになってしまう。

二つほど刺激を受けつつ、考える言葉に出会う。

一つはこちら。

http://hyosho-media.com/news/2019/0331_1-38.php

 

そして、もう一つは、以下のツイート。引用させてもらいます

 

ダメ出しの「ダメ」って、碁盤の目に無駄に石を並べる「駄目」から来てるそうです。「駄目を出す」というのは碁盤の上から無駄な石をどかすという意味がある、転じて作品を洗練させる意味だと遠い昔に聞きました。「演出家から、演技がダメ!という言葉が出る」という意味じゃないです。

 

3月の終わりでまた一つ歳をとった。若くありたいと思う気持ちはさらさら無く、ただ、年相応に良い歳の取り方をしたいと思う。かつて、自分が若い頃、40歳なんてだいぶおじさんに思えた。そういう人の言葉は時に鬱陶しいし、説教くさく感じられたが、それでも言葉にすることが大事だからこそ言われていたのかもしれない。

 

石野卓球さんや、ウーマンラッシュアワー村本さんの発言がいろいろ取り沙汰されるが、個人の考え方がどういうものであれ、それが言葉にできない、言葉にすることを憚られるという状況は息苦しい。そこから議論がうまれ、お互いが考えることに意味があると思う。言葉に敏感でありたいと思うけど、過敏にならないようにしたい。

 

兄から誕生日おめでとうというラインが来た。単身赴任しているし、普段は言葉は交わさないがこういう時に連絡を取り合える。驚いたのは父からもラインがきたことだ。『祝意をお伝えします』というだいぶ堅い言葉ではあったもののそれもまた有難い。娘の写メを送ったらできる限りの絵文字を駆使して嬉しそうな返信をくれた。

 

新しい年号が発表された。特にそれ自体は、個人的に気にすることはなく、ただ、ああ、そうなのかと思い、仕事をしていた。

 

4月が始まる。

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