東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『グッドバイ』

4/3(水)。仕事を終えて、まだ間に合うと思いポレポレ東中野へ。今野裕一郎監督『グッドバイ』観劇。

 

演劇が、劇場にでかけることで得られる2度とは無い特別なその時だけの時間の体験であるとするなら、映画で切り取られた一つ一つの瞬間もまたその時にしか存在しない画の連なりだとも言えると思う。

 

「向こう」から「こちら」へ戻ろうとする主人公の泳ぎ出す場面のとてつもなく清々しい空。川辺で踊り、ドラムが響くシーンの夕暮れの光。デモの女性たちが言葉を発する奥で飛んでいる鳥たち。飼い主の手や肩にのる文鳥の動き。眠っている主人公の部屋のカーテンを揺らす風。エンドロールの繁華街を進む車椅子の方を見つけた瞬間。カメラが回ったその時に起きた全ては、予め用意されていたものではなく、その時その時の瞬間にだけ存在した唯一の時間。それを見つけたカメラを通じた監督の視線。それらを繋いで映画は作られる。

 

 

通常ならボリュームを抑えるだろう空気音が低く鳴り続けたり、文鳥の鳴き声が響いたり、ドラムの音がけたたましく鳴ったり、作品そのものが、普段目にする世界に別の見え方を提示してくれる。ノイズというばそれまでなのかもしれないけれど、むしろ世界はノイズで成り立っている。

 

 

その日のアフタートークが話とかではなく、「黒と白と幽霊たち」という映画の中でも一部演じられたパフォーマンスがあり、それもまた刺激的だった。さまざまな場所で行われているというその演目を映画館で演じる試み。映画館の段差を移動する役者たちの足並みや、劇場の壁を使って音を奏でたり、スクリーン前のステージで演じられるパフォーマンスは、ここでするため(だけ)に構成されたものになっていて、ペットポトルから滴る水の音が優しく響くと思えば、ドラムの音が耳に痛いほど響く。そこで発せられる声、音、光、いろいろな感覚に刺激を受ける。

 

 

映画と、思い立ったこの日にパフォーマンスを観ることができた偶然。

 

http://busstrio.com/good-bye/

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